Recent Posts

がん一万人の声, 乳がん70代 女性, 乳がん, 告知

昨年(2013年)の6月、乳がんの告知をうけ、7月25日に手術しました。
幸いに、しこりは8㎜(自分でみつけた)と小さく手術も傷口13針位ですみました。
術後、ますいの為か2、3日はき気に悩まされましたが、痛みもほとんどなく、現在の治療はホルモン剤(アナストロゾール)1日1ヶと、3か月毎の検査をしております。
子宮がんの心配もあったので、1年間、3か月毎に検査をうけましたが、乳がんの手術以上につらく途中で検査を受けるのやめようかと思いました。
1年に1回の検査になったのでホッとしています。
母も兄もガンで亡くなっているので、常に転移のことが心配で気になりますが、日常生活は運動(太極拳・卓球・バドミントン 1時間半程度)趣味の編物、書も続けておりましたが、半月前に5時間ほど記憶が無くなり診断は、一過性健忘症でした。
その時も頭に転移したんじゃないかと考えたり、感情が高ぶりイライラしてつい主人にあたってしまいヒステリックになったりします。
運動のし過ぎでつかれたのかなーと反省したりしますが、性格的にじっとしていられないので、又運動等して、外に出かけるようにしたり。でもゆったりしたほうが良いのかなーと思ったり、少し悩んでおります。

がん一万人の声心身の支障, 食道がん, 70代 男性

1、2001年にがん専門病院にて食道がん治療を行った。
化学・放射線治療で成功し、以後転移・再発はなく治療には感謝している。
2、しかしながら不調が多発し一般病棟で対応しているが、QOLの大幅低下をきたしている。腎機能低下、心臓弁膜症、不整脈、甲状腺機能低下ほか。
3、専門病院/一般病院間で
  ①副作用の予測と実績の共有化によるQOL UPもしくは、予防
  ②これらが患者に見える事。
以上のシステム化と改善を希望します。

がん一万人の声60代 男性, 仕事, 肝臓がん

私は今、がんをわずらっており毎日寝ている状態で仕事ができず収入がないので生活に困っている。
親の貯金をくずしてなんとかやりくりをして生活をしている状態です。

がん一万人の声50代 男性, 男性特有のがん

癌宣告から4か月間を振り返り、家族の協力の様子、癌に関連して私の周りで起こったことを拾って書いてみます。
1月20日は私一人で癌宣告を聞いたのですが、第一印象は「えらくあっさりはっきり癌宣告するな」でした。もちろん驚いたのですが、宣告は冷静に聞いたと記憶しています。てきぱきとすぐに検査日程が決まっていったことも、事後的にとは言え安心材料になっていたと思います。この段階では、家族にどう報告するか悩む方が多そうですが、私の場合、「結果はすぐに報告するよ」と言って家を出てきたこともあって、ほとんど迷うことなく診察終了後すぐに電話で妻にありのままを報告しました。(落着いて聞いてね、と前置きはしましたが。)
今から思うと他に何を思ったか印象にないので、やはりその時は感覚的には冷静であっても重要な思考は停止していたのかもしれません。一度帰宅し、先ずは敵を知るべく妻の進言の下、二人で癌関係書籍を探しに早速本屋に行っています。この辺りでは既に思考回路も回復し、妻と二人でチームを組んだ共闘体制ができつつあったようです。
子供たちには翌日に電話で報告しています。CTその他の検査結果が判ってから報告しようかと最初は思ったのですが、結局は翌日に報告しました。彼らもショックだったようですが冷静に聞いてくれました。
その後2週間、病状がかなり進行していることが明らかになるにつれ、私を心配してくれる妻の心理的負担が大きくなっていくのが感じられ、自分のことよりもつらかったです。息子はかなりいろいろ癌について調べてくれ、父母の性格までよく考えた上、私には医療データの提供を、妻には抱え込まずに患者会を探して参加せよと優しくかつ強くアドバイスをしてくれています。一方、一見クールな娘はすぐに時間をとって帰省してくれ、妻の心理負担軽減に極めて大きな貢献をしてくれました。自分で言うのもなんですが、家族に大変恵まれています。

がん一万人の声告知, 男性特有のがん, 50代 男性

新人癌患者です。新人ではありますが、ありがたくないことに癌はかなり強力です。 今年1月20日 に、50歳で前立腺癌を宣告されました。
昨年、秋も深まるころから残尿感を感じ始め、12月22日の朝に一時的にですが排尿できない (したいのにおしっこが出ない) 状態になりました。30分ほどで排尿できるようになり、その後2~3回排尿して通常の状態に戻ったのですが、これはおかしいと思い 12月24日に総合病院の泌尿器科を受診しました。その日は、エコーチェックで前立腺肥大の診断を受け、念のため採血をして前立腺癌マーカー(PSA)を調べてもらうこととして帰宅。そして今年に入って、PSA値が226と異常に高いことが判明し、触診結果との総合判断により冒頭の癌宣告となった次第です。
その後、立て続けにCT、MRI、生検、骨シンチを受け、2/3に「前立腺癌、T3b, N1, M0, Gleason Score=5+4=9, Stage D1」と確定しました。おさらいしてみますと、
T3b:原病巣が前立腺被膜を超えて精嚢まで浸潤あり。
N1:所属リンパ節転移あり。
M0:遠隔転移なし。私の場合は骨、内臓とも転移なし。
Gleason Score=5+4=9:悪性度かなり高い。
Stage D1:4段階評価で最も悪いD。最終段階D2の一歩手前。
かなり悪い状態で発見されたということです。全く予想していなかった結果でかなり驚きました。元々は妻、息子、娘の4人家族でしたが、子供2人が家を出て遠地の大学に通い始めて寂しくなったなと感じてから、さほど間を置くことなく癌宣告を受けることとなってしまいました。

がん一万人の声, 大腸がん60代 男性, 家族(妻との時間)

2012(平成24)年1月1日。私は朝一番に家内(肺がん)の病室を訪ねました。そして、二人で病室の窓から、昇る初日の出を眺めました。まだ動き出さない静かな病室で、黙って朝日を眺めていました。その時だけは先の不安も感じない透明な時間が流れていたように思います。
結局、これが二人の最後の正月になってしまいましたが、今では心に残る思い出のひとコマです。


→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

がん一万人の声, 大腸がん60代 男性, がん手術

2011(平成23)年12月26日のことです。朝食の準備をしようと台所に立ったものの、立っていられないほどの腹痛に襲われました。搬送先の病院での見立ては「おそらく大腸がん」でした。精密検査をしていたら、病院が休みに入ってしまうし、腸閉塞になっているので、「早く切らないと命も危ない」ということでした。

結局、手術は28日の朝から行われました。私の手帳には、「AM6:00浣腸OK」とのみ記されています。麻酔がよく効いて、手術中のことは全く覚えていません。

1月31日に再開されたメモには、「開腹手術、上行結腸を30cm切除、5cmのがん」と記されています。少しですが、リンパ節にも転移があり、ステージはⅢaでした。
29日の午後にトイレまで4回歩きました。30日にはトイレの他に、廊下を少し歩きました。でも、両日とも熱が下がらず、解熱・鎮痛剤の点滴の影響なのか、終日ぼんやりしていました。
31日は元気になってきました。手帳には、「6:30~約500歩 9:45 Drより飲水の許可 10:00~約500歩 13:00~約1000歩 15:30~約1000歩(11Fへ)」とあります(11Fとは11階の肺がんで入院中の家内の病室のことです)。


→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

がん一万人の声, 大腸がん60代 男性, 妻の肺がん

2011(平成23)年12月31日。手術から3日目。点滴スタンドを支えに時間をかけて病室まで辿りついた私に、家内は、驚きながら満面の笑みで迎えてくれました。
当時、家内は肺がんが脳に転移して、病院で全脳照射を受けるために入院中でした。当初は通院治療だったのですが、世話をする私の事情で緊急入院となっていたのです。私の事情とは、私も「がん」になってしまったということです。

私たちは、二十歳の時から同居を始めましたが、子宝にも恵まれず、親戚づきあいもほとんどなかったため、ずっと二人っきりで暮らしてきました。家内のがんが見つかって1年間ほどは、私は職場の介護休暇等を利用しながら付き添っていましたが、肺がんが縦隔に転移し骨にまで至った段階で(職場にも居づらくなってきていたので)中途退職して、つきっきりで面倒を見るようになりました。

家内はタバコも吸わないのに肺がんになりました。家内の病気の原因は何かわかりませんが、両親の介護というストレスが一番大きな原因と思っています。2人の父親を看取り、2人の痴呆の母の特養入りがやっと決まった矢先に肺がんが見つかりました。私が仕事にかまけて両親の世話を任せっきりにしていた日々が家内の肺がんを大きくしたのだと思いました。そんな気持ちがあって、私は家内に四六時中、金魚のフンみたいについて回っていたのです。


→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

がん一万人の声, 乳がん70代 女性, 乳がん, 生き方

がんと聞いたときは、意外に恐怖感もなく、「どんなウイッグ(かつら)かぶろうかな・・・」と考えていたなんて、呑気ものでしょう、ハハハハ。
知人たちにも早期だと抗がん剤もいらないのよ、と吹聴しています。
主人は、お酒もたばこも嗜まなかったのに、胃がんのため38歳で天国へ。単身赴任して、もはや42年経ちます。私は、血管破裂即死を免れ、今年76歳。ちょうど、主人の倍、歳を重ねました。もう、おまけの人生を送っている私へ主人から超特急の片道切符が届くのを待っています。(ドタキャンはしませんから。)
子供3人、孫7人。みんなで労わってくれて幸せです。笑顔でいましょう。

がん一万人の声, 乳がん70代 女性, がん手術, 乳がん

今日も笑顔で一日過ごせた。いろんな事があるけど♪ケセラ セラ♪いつも笑顔でいるのが私の心性。おかげで幸せです。
2009(平成21)年12月、72歳の時、先天性動脈管開在あり、その先の検査で偶然、上行大動脈瘤が見つかり、心臓止め骨切り開き(アジのひらきみたい)を受けました。人工血管13cmほど取り替え10時間以上の大手術でした。主治医の先生は、お正月3が日も含め、毎日病室に来てくださって、本当に嬉しかったです。感謝しています。喉の片方(喉頭)が麻痺しましたが、そのほかは順調に回復し、2か月で退院しました。夜は自宅で在宅酸素吸入しています。
「病(や)めるとも 孫との談笑 春近し」
2010(平成22)年2月、退院前に孫が見舞いに来てくれた時の1句です。
一難去ってまた一難。
2011(平成23)年3月、右側の肩が「肩こりかな」と感じ、念のため、乳腺検査を受けたところ、左側にステージⅠの乳がんが見つかり、膠原病(強皮症)のため放射線治療が受けられず、全摘との説明を受けました。
私「いやや」。
先生「10時間もかかる手術を受けたのに、こんなの1時間で済むよ」。
先生に後押ししていただき、手術後は一度も痛むことなく1週間で退院しました。2年目も無事検査をクリアでき、先生に感謝です。