看護師、専門外の病気にかかり・・・
自分が看護師だからと言って、病気についてはあまり看護師から説明が無かった。術後スキルス胃がんステージと告知され、緩和ケアへ行けと勧める看護師がいた。当時、緩和=終末期と考えていた私。もう終わりかと思った。TVで現在の緩和ケアは告知された時から始まると知り、やっと緩和ケアを受診する意味が見えてきた。職業による偏見も甚だしいと思ったが、病人になると、仕方ないかな~とか、色々考えてしまった。
看護師でも、自分の専門分野における知識は医師並みにあるけど、専門外だと本当に置いて行かれた気分になり、何もして貰えない気分だった。そんな看護は受けたくないし、辛い思いもさせたくないと思い、患者家族会に参加し、患者や家族の想いを知る事で、これからの看護に生かせて頂きたいと思った。
4回目の肝がんが見つかりました・・・
今年3月のMRI検査で4回目の肝がんが見つかりました。1年半振りです。がんの数は4個です。
肝硬変が進んでいるため、9月と10月の2回に分けて入院治療の予定です。
心配なことは、施設に入所している認知症の妻のことです。
祖父の死、祖母の方が辛いはずなのに・・・
私の祖父は肝臓ガンで8月10日に亡くなりました。あまりにも早く、入院してから2ヵ月経っていません
でした。まだ49日も終わっておらず最近のことで毎晩思い出しては泣いています。私よりも祖母の方
が辛いはずなのに…。
祖父がもうダメだと、入院する時には聞かされていましたが実感はもちろんなく、治ると信じていま
した。
祖父が亡くなる2日前、病院に通っていた祖母がいきなり泊まると言い出したのです。病院に
泊まり込むということは、もういつ亡くなってもおかしくないのだろう、と思っていました。
泊まりの道具を取りに帰って来た祖母は私の顔を見るなり「じいちゃんは、もうダメなんだよ」と泣
きながら言ってきました。
祖母の涙を見たのは生まれて初めてでした。
そのつぎの日、私と妹と母が病院に行くと、口を開けて大きく息をしているけれど、意識はなく、酸
素マスクをしている祖父がいました。最後の日は個室に入り、祖母とおばが看取り亡くなりました。
亡くなったと言う報告を聞き、急いで病院に行く途中のいつもの夜の道は、知らない街みたいでした
。
病室に入った時のあの匂いと死化粧は一生忘れないと思います。
がんになって死と真剣に向き合えたことで、一日一日を丁寧に生きることが私の宝になっています・・・
まだ”ありがとう”という気持ちまでには届きません。
でも、がんになって死と真剣に向き合えたことで、
一日一日を丁寧に生きることが出来ていることは、
私の宝となっています。
これからしたいことは沢山あります!
岩手県で一番高い岩手山に登りたいし、英語を学んで外の世界に触れてみたい。
また、心と身体にいい場に身を置きたいし、自分もその場の一人になりたいと思っています。
今まで41回輸血をしました・・・
私は今まで41回輸血をしました。
献血してくださる方がいなければ私は生きていけません。
献血してくださる方々には感謝、感謝です。
この「感謝」という気持ちをどうしてもお伝えしたくペンを取りました。
誰かのためにできることをしたい・・・
100歳まで生きられると自負していた私に訪れた突然のがん告知。
「人生は何があるかわからない」
ずっと前に娘が発した言葉を思い出しています。
長さより深さを考えるようになった私の人生は
”誰かのためにできることをしたい”
”今できることは今”
そんな風になっています。
予防のために勧められた抗がん剤治療を選択せず、自分の身体は自分でも守ると決め、がんと共に一日一日生きていることは感謝の毎日でもあります。
職場の予防検診で見つけていただいたがん。
仕事をしていなければ・・・そう思うとこれからの生き方は
”私にできることをしていこう”と強く思わせてくれます。
~繋がれし命の意味を問う九月 感謝の中で 誰かのために~
癌になって思ったことは、癌友のありがたさ・・・
癌になって思ったことは、癌友のありがたさ。
若年性乳がんで、家族にも周りにも癌キャリアがおらず相談する事も愚痴を言うことも出来ず、ひた
すら主治医の示す治療計画どおりに治療をする事に懸命になっていたあの時。
自分を受け入れる事が出来ずにいた私に、会って直ぐから色々と話しかけて「私達も同じ、まだ生き
ているから大丈夫。」そう言って励ましてくれた友に感謝です。
10年を過ぎて少し不安が軽くなったので、恩返しのつもりで、
これからは治療の事・仕事の事・生活のことを今悩んでいるがん患者さんの為にサポートをしたい。
検査の予約もなかなかとれず、とても不安・・・
毎年、人間ドック、かかりつけ医(循環器、呼吸器、内科一般)で年各1回、胸部X線検査を受けていたにもかかわらず、胸腺腫が見つかったときはステージIV。早期発見はスローガンだけ。
病名と「がんではない」と告げられました。患者・家族にとって「がん」です。医師と温度差を感じております。具体的な説明がほしかった。手術で血管縫合失敗。輸血。10日で退院。その後帯状疱疹、体力消耗等々。
術後半年でX線。2回目の手術より1年でCT検査。その間、治療はありません。CTの結果、左右の肺に複数転移が見られ、経過観察と言われています。検査の予約もなかなかとれず、とても不安。家族として病院の変更ができたら・・・難しいですね。皆さまもよりよい医療、治療を受けたい、受けさせたいと願っておられると思いますが、地方都市では難しいことが多い。漠然と医療格差を感じています。
異常が見つかった時には、胸腺腫ステージⅣ・・・
毎年ドッグとかかりつけ医(胸部専門)と年2回X線写真を撮り、各々異常なしで、異常が見つかった時には、胸腺腫ステージIVでした。通常のドッグ等でも早く見つける手立ては?
早期治療。
左右の肺に点在していた腫瘍を最初に左、半年後に右と、2度手術を受けましたが、18ヶ月後、術後最初のCTで左右の肺に点在していて再発がわかりました。
この間、治療はなく、主治医より経過観察で様子を見ましょうと・・・。経過観察の時間とともに徐々に体力が衰えていくのではとか、他に転移しているのではとか不安です。
患者にとって確かな治療法が見い出せないのなら、微小な効果でも必死で手探りしております。
希少ながんであればあるほど、患者は孤立しています。何か指針でもあればよし・・・・。皆、できる治療なら何でも受けたいと願っているはずです。
幸いに私は、先日同病の方々と情報交換できる集いに入会することができました。
がんは早期発見、早期治療。
このスローガンは、私にとって惨(むご)く空しく聞こえます。