ステージⅣになり主治医からは「後悔しないように毎日を大切に生きて下さい」と言われ「あ、最後が近いんだな。標準治療が終われば最後は緩和になって終わりか…」と言う考え方に固定されてましたが、いろんな情報が入るうちに「何か他に出来る事があるかもしれない!長く生きられるかもしれない!」と考え方が変わってきました。
セカンドオピニオンをどこにするかなど全然検討もつきませんが、自分の考え方と同じような、「あ、この先生になら安心して全てを話せる」と言うような方とお話し出来たらな、と思います。
がんと生きる“わたし”にとって暮らしやすい社会とは何か? 多くの声を集め、つながり合い、語り合い、そして社会へ問いかけます
ステージⅣになり主治医からは「後悔しないように毎日を大切に生きて下さい」と言われ「あ、最後が近いんだな。標準治療が終われば最後は緩和になって終わりか…」と言う考え方に固定されてましたが、いろんな情報が入るうちに「何か他に出来る事があるかもしれない!長く生きられるかもしれない!」と考え方が変わってきました。
セカンドオピニオンをどこにするかなど全然検討もつきませんが、自分の考え方と同じような、「あ、この先生になら安心して全てを話せる」と言うような方とお話し出来たらな、と思います。
姉が子宮頚がんになって、20年経ちました。
子宮と脚のリンパ、卵巣を取り、大変な闘病生活を送っていました。
リンパ浮腫に苦しんでいましたが、最近30、40分歩くようになって、少し楽になったようです。
姉のおかげで、毎年忘れないよう誕生日にがん検診に行っています。
妻が乳がんです。
がん患者の家族になって、あたりまえの日々を
あたり前に過ごせる幸せに気づきました。
がん検診の受診率の向上を願っています。
乳がん患者という立場になって、8年目を迎えました。
患者になったばかりの頃は、先の見えない不安に心を乱されたり、まわりから心配されるようになっ
た自分に対してうまくバランスが保てなくなり
「患者なんて立場、早く終わりにしたい」と悲しんでいましたが、ご縁があって昨年から、院内乳が
ん患者会の会長を務めさせていただいています。
もし今、8年前の自分の側にいられるなら、そっと背中をさすってやりたいです。
大丈夫、またいっぱい笑えるようになるから…と。
少し緊張なさりながら患者会に来られる方のご様子が、8年前の私の姿に重なります。
乳がんになって、悲しかったりくやしかったり申し訳なかったり…
そんな気持ちがフンワリ和らぐ場所作りのお手伝いをさせていただこうと思っています。
抗がん剤治療の通院は、手足の痺れが酷く痛くて辛かったので、タクシーの割引きや循環バス等があるといいなと思った
重症筋無力症の疑いもある。胸腺腫と重症筋無力症の関連について、私もそうですが、Dr.もよくわかっておられないのが不安です。自分で学ぶことの大切さを痛感します。
胸腺がんIII期で見つかり、手術、放射線治療を受け、現在は経過観察中です。放射線治療で晩期の副作用が起こり、とてもつらい時期がありました。今でもまだ調子は悪いです。放射線治療を受けない方がよかったのかとも悩みました。悩んだ末、この2年、再発がなく元気でいられるのは、放射線を受けたからかなと考えられるようになりました。胸腺がんは希少がんで情報の少ないがんです。私自身が経験したことを発信し、これから治療を受ける人たちにいろんな選択肢を提供できたらとも思いますし、自身で勉強をしたり、患者会に参加したりしていろんな情報を収集したいとも思います。
出産と病気が重なって体の不調に気付けなかった。ストレスががんに一番よくないのでストレスのない生活を送りたいけど、なかなか難しい。自分の身体を大切にして、ゆっくりしたペースで生きていきたいと思う。
希少がんでホルモン細胞のある所にできるため、脳下垂体、肺、胃、小腸、大腸、すい臓、肝臓、子宮など多岐に渡るため、悩み事もさまざまである。病状もそれぞれ違うため専門医も少ないし、情報も少ない。海外に比べ、薬の承認も遅れている。放射線治療(PRRT)も日本では認められていない。画像診断も20年前に欧米でしていたもの(オクトレオスキャン)がやっと認められたばかり。今は、Dotatocの方が優れているのに認められない。患者会活動も病気を抱えながら、日本各地にバラバラなので難しい。