妻は息子のアドバイスを容れて、患者会 に参加させていただくこととなりました。かなり助けられています。個々の状況は異なるものの同じ病の経験者と体験を分かち合えることは、癌患者本人と二人きりで息詰まってしまいそうな妻を救ってくれました。これはきっと、夫である私にも、家族である子供たちにもできない福音だと思います。
そして子供たちは、帰省頻度を上げてくれたり、Line(今流行のネットワークコミュニケーションアプリ)で簡単な近況報告を入れてくれたりと、癌発覚後も私たちを気遣ってくれているようです。親として素直に感謝しています。
妻は息子のアドバイスを容れて、患者会 に参加させて…
癌宣告から4か月間を振り返り、家族の協力の様子、癌に…
癌宣告から4か月間を振り返り、家族の協力の様子、癌に関連して私の周りで起こったことを拾って書いてみます。
1月20日は私一人で癌宣告を聞いたのですが、第一印象は「えらくあっさりはっきり癌宣告するな」でした。もちろん驚いたのですが、宣告は冷静に聞いたと記憶しています。てきぱきとすぐに検査日程が決まっていったことも、事後的にとは言え安心材料になっていたと思います。この段階では、家族にどう報告するか悩む方が多そうですが、私の場合、「結果はすぐに報告するよ」と言って家を出てきたこともあって、ほとんど迷うことなく診察終了後すぐに電話で妻にありのままを報告しました。(落着いて聞いてね、と前置きはしましたが。)
今から思うと他に何を思ったか印象にないので、やはりその時は感覚的には冷静であっても重要な思考は停止していたのかもしれません。一度帰宅し、先ずは敵を知るべく妻の進言の下、二人で癌関係書籍を探しに早速本屋に行っています。この辺りでは既に思考回路も回復し、妻と二人でチームを組んだ共闘体制ができつつあったようです。
子供たちには翌日に電話で報告しています。CTその他の検査結果が判ってから報告しようかと最初は思ったのですが、結局は翌日に報告しました。彼らもショックだったようですが冷静に聞いてくれました。
その後2週間、病状がかなり進行していることが明らかになるにつれ、私を心配してくれる妻の心理的負担が大きくなっていくのが感じられ、自分のことよりもつらかったです。息子はかなりいろいろ癌について調べてくれ、父母の性格までよく考えた上、私には医療データの提供を、妻には抱え込まずに患者会を探して参加せよと優しくかつ強くアドバイスをしてくれています。一方、一見クールな娘はすぐに時間をとって帰省してくれ、妻の心理負担軽減に極めて大きな貢献をしてくれました。自分で言うのもなんですが、家族に大変恵まれています。
私は平成16年(2004年)1月頃、卵巣腫瘍が見つかり市民病院で摘出して…
私は平成16年(2004年)1月頃、卵巣腫瘍が見つかり市民病院で摘出して…抗がん剤の副作用で便秘や髪の毛が抜け(平成20年頃)苦しみましたが、抗がん剤治療が終わり、6年かけてやっと毛が長くなったが今だ髪の毛は地がすけて見えるが…これも6年掛け養毛剤を使ってのことです。
肺に転移し、肺がんで平成21年(2009年)〜平成25年いっぱい放射線を月何回行きかけました。1回30分です。今の1年に1回は消えたが新しいの(腫瘍)が一つあり、小さいので様子を見ていましたが、此の所少し大きくなっているとの事。今年(平成26年)11月頃また病院に行き、放射線治療をするかどうか先生との話の上になります。
今は少し普通に歩いたり(5分程)、坂をのぼると呼吸困難で苦しくなります(前向きに歩いていますので…年も年ですし無理しないでいます)。別に痛みはありません。家の中位のこと出来ます。
病気にとらわれず、前向きに明るく生きることが大切だと思っています。
私は41歳の時急性肝炎で倒れ、一年間入院しました。それ以来75歳の今日…
私は41歳の時急性肝炎で倒れ、一年間入院しました。それ以来75歳の今日まで14回入院し、8回手術を受けています。病名も多様で、急性肝炎、慢性肝炎、前立腺肥大、椎間板ヘルニア、左右のそけいヘルニア、消化管出血、そして右腎細胞がん、肝細胞がん3回です。これだけの病気に耐えてこられたのは、妻や家族の支えがあったからだと思います。
がんについては肝炎治療を継続して行う中、定期的に血液検査やCT、MRI検査を行っていましたので、4回とも発見が早く、早期治療が出来ました。がんは、早期発見、早期治療すれば決して怖い病気ではありません。
妻は高校の同級生で、20歳で結婚しました。1男2女、孫が7人います。妻には…
妻は高校の同級生で、20歳で結婚しました。1男2女、孫が7人います。妻には、私の看病、子育てなど大変な苦労をかけてしまいました。私を支えてくれた妻が、私の腎臓がん手術のあと(その後肝細胞がん3回)、もの忘れがはじまり、アルツハイマー型認知症と診断されました。3年前から歩くことも話すこともできなくなりました。現在デイサービスを利用しながら在宅介護をしています。何年続くかわかりませんが、私の体力の続く限り在宅を続けようと思います。それが妻へのお返しです。
私は病気とは闘わないことにしています。病気も身内だからです。特にがん…
私は病気とは闘わないことにしています。病気も身内だからです。特にがんが見つかった時には「がんよ私を殺すなよ。私が死ねばお前も死ぬのだぞ」と呼びかけています。
自分のためではなく誰かのために!
幸田道子さん。毎年検診を受けていたにも関わらず、肺に見つかったのは5cm大のがんでした。その後抗がん剤治療、半年で再発。そして、脳への転移。生きる意欲をなくし、もう終わりに近づいたと思う幸田さんが希望を見出だしたのは、患者会での様々な人との出会いでした。人と語り合い、自らの悩みを打ち明ける事で気持ちが軽くなって行った。そうした気持ちになれたのは、5年10年と前向きに生きて来た人たちの存在です。そして、世話役の一人源靖夫さんにお弁当を作ろうと思い立ちました。肺がん、食道がんを経験し、胃も食道も無く、一人暮らしで食事もままならない源さんに何かしてあげられる事は無いか。「生きていてもらいたい」という想いからでした。人は人と繋がり役割を持つ事で生きる希望に繋がる。幸田さんと源さんのドキュメント。
→「パラメディカ」肺がん闘病記 紹介
高校教師をあきらめない! 2013
教師として忙しい日々を送っていた延哲也さんが大腸がんと診断されたのは38歳の時。手術をしたものの、その後も再発、再再発と次々とがんがみつかりました。手術や放射線、抗がん剤などあらゆる治療を続けていますが、それは同時に副作用など多くの痛みに悩まされる日々でもあります。手術後には腸の活動が戻らず、腸閉塞(イレウス)となり、吐き気や腹痛で食事がとれなくなることもありました。それでも延さんはそうした痛みに耐えながら前向きに治療と向き合っています。なぜなのか?「辛い治療を続けるのは、自分の居場所、学校に戻って教鞭をとるため」だと延さんは云います。副作用や痛みをはじめ、不安にも向き合う緩和ケアも受けながら、50日ぶりの退院を果たした延さん。迎えてくれたのは、黒板に大きく書かれた「おかえり」の文字と、子供たちの笑顔でした。
出張デイホスピスが希望をつないでくれた〜原村光一さん〜
6年前に甲状腺がんと宣告された、原村光一さん(64歳)は、寄る辺無き人生に絶望していたが、福岡県行橋市のクリニックが開くデイホスピスに行き何十年ぶりかにギターを弾く事を始めた。人との繋がりは生きる希望になり、感謝の気持ちとともに死ぬ事の恐怖さえ遠ざけてくれる。原村さんのドキュメント。
自分の両親が“がん”の病に倒れて故人となってから20年余り以上になり…
自分の両親が“がん”の病に倒れて故人となってから20年余り以上になります。自分は7年前に大腸がんと診断され、手術をうけ10日間程で退院でき現在元気にしております。2~3年に一度定期検診をうけております。毎日の生活において、食事等に留意するとともに運動等により”ストレス”をためないよう生活しております。この世に”がん”患者が一人でも少なくなるよう祈っております。
→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介
