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がん一万人の声70代 男性, 偏見・願い, 男性乳がん

最近は、ホームページや学会誌に男性乳がん患者の治療症例も多数記載されるようなり、男性乳がん患者を小馬鹿にした「オカマ」の表現は無くなったと思っている。

米国、英国、豪州のように女性乳がんとは別に「男性乳がんの項目」を設けて、女性乳がん患者と男性乳がん患者の治療法が、何処が違っていて、どこが同じか。心のケアはどうすべきか。同じと違いをはっきりと区分して記述するように国立がんセンターや厚生労働省に男性乳がん患者の声を届けてほしい。日本人の約300名ぐらいの男性乳がん患者(死亡者;約100名)および奥様(家族)がどんなにか喜ばれることでしょう!!

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知人の先生が診療所を再オープンすることになり、そのお祝いを兼ねてエコー、胃カメラ、肺のレントゲン、骨密度、等の検査をして頂きました。その結果、「肺もちょっと怪しいけれど、それよりエコーで肝臓に白いものがある。総合病院で詳しく診てもらったほうが良いでしょう」と言われ、早速近くの総合病院に行き診て頂きました。
診察室で、先生が「今日は一人でいらしたのですか?」、私は「はい」と答えましたが、何か言い難くそうな感じを受けましたので、私の方から「がんですか?」と聞きました。先生は「はい、そうです。7個ほどあります。」私は絶句して、「ええっ7個も!ほうっておいたらどうなるんですか?」と聞きました。
先生は「3年以内に治療が難しくなります。今だったらラジオ波で簡単に焼いて取ることが出来ます。」と言われました。
私は子供も無いし、年齢も70歳(3年前)。いつ死んでも良い年。どうしようかと悩みましたが、取り敢えず姉に相談しました。姉は「あ・・・そうかぁ、ストレス貯めやすいからなあ、あんたは。私はそんな病気にはなれへんと思うわ。」
私が「兄ちゃんも前立腺がんと言われた時、泣いていたで」と言うと、「そんなことあった?忘れたわ。」とケロリとしています。太っ腹の姉、がんになるのは私自身のせいとあきらめました。
妹にも相談しましたら、妹は「やっぱり治療した方が良いと思う。決めるのは姉ちゃんやけど。」
考えたら、母も胃がんと言われて85歳の時、「まだ一度も手術したことないから、いっぺんしてもらうわ」と言っていたのを思い出しました。今思うと勇気のある母だったなと思います。
私も頑張って一度やってみようと決心し、紹介して頂いた病院でラジオ波の処置を受けることに決めました。

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患者会の会員集めのために初めて行われた医師による講演会で、前座で「男性乳がん患者の体験談」も報告した。あれから患者会を通じて、多数のがん患者とおしゃべりし、先生方の講演も聴講し、また、インターネットのホームページからも学び、良いと思った事を実践した。

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告知から検査を経て1カ月後の8月に手術をうけました(右胸全摘)。 グルグルと色々な思いが巡って一周。自分でも不思議なくらいスッキリとした気持ちになっていました。
それから患者会のことを入院中に知り、退院してから少しして勉強会に参加させていただきました。心配性の母も連れていったのですが、二人ともとても元気をもらって、更に前向きになれました。
「病は気から」とよく言われますが、確かにこわいけれども、どう向き合えるかで自分の中から変えられると思います。
病気になってわかったこと、気付かせて頂いたことがたくさんあります。周りに感謝だなーと思います。9月からはじまった半年の抗がん剤も前向きで臨み、3月に終了しました。
1月から職場復帰しています。毎日慌ただしいですが、自分をいたわり、また生きていることを実感して楽しみたいと思います。

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2005 (平成17)年、乳がん告知後は早くこの異物(腫瘍)を切除して欲しく、喜び勇んで、故郷の英雄・新田次郎著「新田義貞」の上下2冊の本と「水森かおり」のカセットテープ、購入したばかりの携帯電話を持って病院15階に入院した。術後は胸から出るドレーン(管)がなくなるまでの14日間、廻り階段を上下して足腰を鍛えて、疲れて熟睡できるよう心がけ、産まれて初めての入院生活を楽しんだ。

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2013年(平成25)6月。職場の健康診断で右胸にしこりがあるのが触診で分かり、すぐに精密検査を受けて、その結果乳がんの告知を受けました。 私は癌=不治の病・死という単純なイメージしか持っていなくて、自分が今どのような状態であるのか、聞いていてもまるで耳に入らずに、恐怖で一杯でした。
また、ひとり暮らしをしていて仕事もしており、生活をどうするのか、手術・入院となると職場にも話をしなくてはならないし、続けることができるのか不安と、また親に話しをするのが辛く、途方に暮れていました。
私は養護施設で働いています。虐待等事情があり親と暮らせない・・2才~18才の子どもが生活している施設で保育士をしています。小学1年生~高校3年生の男の子のグループを担当しているのですが、仕事にはとてもやりがいを感じていました。それでやっぱり辞めたくないと思い、同僚に相談して、続けていけるようにどうすれば良いか重ねて話をさせて頂きました。
仕事、するべきことがあれば、恐怖心から少しでも逃げられ、違う角度から見つめることができるかとも思いました。職場でがんになり、仕事を続けたいと思うのはわたしがはじめてだったので、沢山の人や子供たちに負担や迷惑をかける形になったのですが、「待っています」という心強い言葉を頂き、やる気が湧いてきました。
またCTやMRIの検査に卒園した子どもが心配してついてきてくれたりと、うれしかったです。おかげで心の回復ができ、まだ親に言えていなかったのですが、話をすることができました。

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患者会で会員にがんに罹患する前にどんなドラマを抱えていたか、と質問したことがある。ほとんどの人が「ああ!思い当たることがある」と答えていた。そしてその大半がストレスだった。私も例外ではない。沢山の思い当たることがある。当然のことだと思う。人はこの世に生を受けた時から人生の波に晒される。小さな波もあれば、荒波もある。100%なにも無い人などいないに違いない。がんであってもなくても変わらないのではないかと思う。どんなにつらくても、苦しくても、人は生ある限り生きていかねばならない。インドではコブラは知恵の神様として厚い信仰を受けていると聞いている。それならば、蛇のようにくねくねと、様々な障害をかわしながら、知恵を働かして生きていけたらと願っている。

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私は世間では名の通った大企業で働いているのですが、業務に穴をあけてはいけないので人事部門に対しては癌であることをすぐに通知しています。ほぼ同時に当面は通常業務に支障がないことも診断書を添えて通知しています。ところが残念なことに、明確な説明を受けることなく役職を解かれ平社員に降格とする人事となりました。詳しい内容はここでは述べないこととしますが、癌に対する社会的偏見は歴然と残っていることを痛感しました。ただ、大企業にはそれなりのノウハウも蓄積されているようで、この状態でも所得はあまり下がらないような仕組みとなっており、こうすることで訴訟リスクを回避しているようです。会社側に言わせると、病気を気遣い負荷を軽くするが収入には配慮するという建前であり、これ自体表面的には筋は通っていますが、患者側から見ると癌ハラスメントではないでしょうか。おそらく、中小ではもっと厳しいのでしょう。日本という社会全体から早期にこの種の偏見がなくなることを願います。でも、おかげで仕事は暇になり、読書、旅行の時間はとりやすくなりました。

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2012(平成24)年1月24日、長年の夢であった「101日間―22ヶ国―地球一周の旅」に冬の横浜港より出港しました。なぜ私が63歳の今、この船旅をしようと決心したのか…。

塾で中学生を相手にテンションを上げ続けていた2009年(平成21)7月でした。大腸がんが見つかり手術、リンパ移転ありのステージⅢa・抗がん剤治療を10か月続け、幸いにも腫瘍マーカー値が基準内に収まりました。

いつか訪れたいと思っていた、世界の遺跡巡りをするのは今がチャンスだと思い、そしていっそのこと、地球一周をしようと夫の後押しを得て、1月24日の出港となったのです。

癌をかかえて乗船した私は、この船旅で自分の人生を自分流に生きている多くの人々と出会いました。下船後も北海道から沖縄、そして訪れた国の人々との交流は続き、私の旅は今もなお続いています。この船旅は、私にとってまさしく「キャンサーズ・ギフト」です。


→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

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癌を契機に、闘病記的なHomepageを開設し、Facebookも始めてみました。これらは主に大学時代の旧友とのつながりに貢献しています。大学卒業以来会っていなかった旧友何人かとも再会でき、こちらもミニ同窓会的会合を3か月に一度程度でやっていこうとの話になりました。昨年まで学生時代の友人とはほとんど交流がなかったのですが、癌になって人とのつながりを大事だと感じるようになり、このようにインターネット時代の恩恵を受けています。そして多くの友達に囲まれていることに改めて気づきました。他方、癌そのもの、そしてそれが前立腺癌であるがゆえ、大好きな自転車 (毎年4,000~7,000kmくらい乗ってました!) に乗れなくなってしまったことは不幸な現実として横に置くとして、上記のようによかったこともあったわけですが、もちろん、いいことばかりではありませんが。