私は今からちょうど三年ほど前、胃に膨満感を頻繁に感じていたことから胃カメラを飲み、胃がんであることが発覚しました。胃上部スキルスの4型、ステージがⅢCというものでした。
お医者様からこのことを告げられ、あまりに受け入れがたい大きな現実に直面するなかで、私はショックというよりも、なぜか普通に受け止めていました。なんだかふわふわと現実離れした空間の中にいるようでした。手術前の検査を終えた時点では、開腹手術以外の手段はなく、それさえも転移などがあればできなくなるという可能性がありました。いきなり知ったこのような現実を私も家族もただただ受け止めるしかなく、手術が行われました。
幸い先生が手を尽くして下さり、8時間に及んだ手術は輸血もすることなく成功しました。その内容は胃を全摘出、脾臓も取り、十二指腸を閉じて食道と小腸をつなぐというものです。また33個のリンパを取ったのですが、そのうち9個は転移していたということでした。
なぜかショックというよりも、なぜか普通に受け止めて…
大きくなっていく彼女を長く見守りたいなと…
元気が一番ですが、元気ではなくても明るく過ごしています。夏休みの目標は娘と遊ぶこと。一年生になった娘とプール、遊園地、バーベキュー、花火、お菓子作り。家族や友達に助けられながら、沢山遊びました。子供のうちは、娘のそばにいたい。大きくなってきたら少しずつ仕事もしていきたい。虎視眈々とやりたいことを実行していこうと思っています。夏休み最後の今日、娘の前歯の乳歯が抜けました。大きくなっていく彼女を長く見守りたいなと思っています。
我慢をやめたことで気持ちが楽になり思い切って…
そういえば、ずっといろんなことを我慢し続けてきた様に思いました。 自分が我慢することで「相手に嫌な思いをさせないでおこう」とか、やりたいことがあっても今の自分では無理ではないかと思ったり、周りの反発を受け止めることが出来ないように思えて動かなかったり。でも、検査の結果によっては自分の残り時間は少なくなるかもしれない。もう我慢はやめとこう。そう思いました。治療で娘や主人にしんどい思いはさせたかもしれないけれど、我慢をやめたことで気持ちが楽になり思い切ってしたいことを少しずつではあるけれどしています。
子供が欲しかったからこそ、好きな仕事も辞めて…
娘が2歳10ヶ月、私が36歳のときに乳がんだということが分かりました。丁度検査などで病院に通っていたのが8月の暑い最中で、自転車で汗だくになりながら「こんなに元気なのに重い病気かもしれないんだなぁ」と思っていました。
告知をされたときに、「乳がんです」と言われたことはそれほどショックではなかったのですが、治療の説明を受けているうちに妊娠も出来なくなるということが分かり、そのときに改めて大きなショックを受けました。結婚して5年足らず。結婚した年齢が早いとは言えないまでも、まだ頑張ればあと一人、運が良ければ二人、と思っていました。
子供が欲しかったからこそ、好きな仕事も辞めて家庭に入ったのに…。
仕組みが点々とあるだけで線で結ばなくてはいけなかった…
ある土曜日の朝、駅のホームで電車を待っている時に、実家の母から携帯電話の着信があった。そこで父が癌だと聞かされた。
腎臓癌だと聞かされたのは前日で、父と母の二人で話を聞き、昨夜はふたりして泣き明かしたと言っていた。
とりあえず用事を済ませ、すぐ看護師の友人に電話をした。今後のことを相談するためだ。ちょうどホスピス開設のニュースを見た頃だったので、ホスピスの事も聞いてみたが、費用の面、ベッドの数の面で入れないだろうと言われた。その時に自宅介護という方法も教えてもらった。
今では在宅介護も当たり前になっているが、当時はまだ珍しかったようで、往診してくれる先生を探す所から始まった。病院のホームページを調べたり、ホームページが無いところは電話をして聞いたり、見つかったと思えば癌患者ダメだと断られたりと大変だった。
他にも市役所に行き、どういうサービスが受けられるか聞いて、ケアマネを探したり、訪問介護ステーションに依頼に行ったり、介護ベッドを借りられる所を探したり、とにかく老人介護の為のものはたくさんあったが、がん患者のための仕組みが点々とあるだけで線で結ばなくてはいけなかった。
車椅子でも生活できるよう家の中をリフォームし、長女の私は母と介護するために実家へ戻り、派遣で勤めていた会社も辞めた。
父が退院する時は独りで歩くことが出来ない状態だったが、家に連れて帰ってきたら、独りで歩けるようにもなったし、食事もちゃんと食べられるようになった。
それから約2ヶ月父と一緒に生活できた。最期を看取ったのも自宅。あとで聞いた話だが、父が退院するときあと2週間もたないと医師間で引き継ぎがあったようで、それが約2ヶ月持ったから先生も感心していた。
父が亡くなってからしばらくは、まだいっぱいやれることがあったのではないか。他にいい方法があったのではないかと後悔していたが、「当時でのやれることは精一杯やった。」「どんなにやっても人間後悔するよ。」と言われて、やっと心の整理が出来た感じだ。
当時まだ自宅介護は介護保険も使えず、かなり出費があったが、自宅で介護できて本当によかったと思う。
きちんと最期のお別れができなかった、とても心残り…
祖父が癌になったのは祖父が84歳の2001年初秋の事でした。祖父がオシッコの出が悪いというので、当時通っていた病院で検査してもらいました。今はどうか分かりませんが、当時はドラマのように病院から電話がかかってきました。「患者さんのことでご家族に話したいことがあるけど、病院に来れる日を教えてほしい」と。もうここでピンっときちゃって、先生の話を聞く前に「ガンだったんですか?」って聞いちゃったくらいでした。
結局、前立腺がんが元の肺がんだったのですが、祖父も歳だしそんなに進行も早くないだろうということで告知しない方針で、あとは通院しながら様子を見ようということになりました。
祖父が退院する予定日の少し前、父が大動脈解離で倒れ、祖父が家に帰ることができなくなってしまいました。母と私は毎日2つの病院にお見舞いに行く日々が続きストレスで私も入院してしまいました。
幸いにも父は一命を取り留めましたが、祖父の癌は進行が早くあっという間に脳まで転移してしまいました。
父のことで満足に看病ができないまま、翌年の2月、北海道出身の祖父の為にか、名古屋で珍しく積雪があった朝、病院からの電話で危篤だと知らされ、タイヤにチェーンを巻く時間もなく慌てて祖母と母と病院に駆けつけました。ギリギリ最期を看取れましたが、祖父の子供の叔父たちは、間に合いませんでした。
祖父の13回忌が終わった今でも、満足に看病できなかったこと、きちんと最期のお別れができなかったこと、とても心残りです。
不謹慎にも考えてしまうのはもしもの場合。不安で…
主人から「おしっこが赤ワインみたいに赤い」と言われ、びっくりしてすぐ泌尿器科の病院を探して行った。脳裏に浮かんだ言葉はガン・・・。父がガンで亡くなっているので、とにかく早く病気を確かめたかった。
最初に行った病院では結石ではないか、ということで、とりあえずほっとした。年末だったので詳しい検査、結果は年明けということで、正月を過ごした。
年が明けて病院に行くと先生が険しい顔をしている。「紹介状を書くので大きい病院で診てもらったほうがいい。」その言葉を聞いてまた頭の中ではガンの文字がグルグル回っていた。
すぐに大学病院に行き、検査の予約、検査入院・・・とバタバタしたが、不謹慎にも考えてしまうのはもしもの場合。不安で不安で仕方がなかった。
主人はその大学病院ではなく、近所の病院で手術をし、今は経過観察だけですが、この経験を元にボランティアを始め、毎日忙しそうです。
「病気イコール廃業する」と言う人は少なく無いと思います。…
がんの告知をされた時、私は会社を営んでいました。
その為、自分自身の体を一番に考える事が出来ず、治療より仕事を優先してしまい、病気が進んでしまっていました。
中小企業では、社長や役員が必死になって働かなくては会社は成り立って行かず、「病気イコール廃業する」と言う人は少なく無いと思います。私自身も術後しばらくの間頑張っていましたが、無理が出来ず、結果廃業することになり、経済的に苦しくなりました。
がんになって生活スタイルを変えなくてはいけない人がたくさんいると思いますが、何とか生活スタイルを変えなくても良い様、世の中の理解や治療法が出る事を期待したい。
今はがんになった事で何が出来るか模索中です。
現在の治療はホルモン剤1日1ヶと、3か月毎の検査をしており…
昨年(2013年)の6月、乳がんの告知をうけ、7月25日に手術しました。
幸いに、しこりは8㎜(自分でみつけた)と小さく手術も傷口13針位ですみました。
術後、ますいの為か2、3日はき気に悩まされましたが、痛みもほとんどなく、現在の治療はホルモン剤(アナストロゾール)1日1ヶと、3か月毎の検査をしております。
子宮がんの心配もあったので、1年間、3か月毎に検査をうけましたが、乳がんの手術以上につらく途中で検査を受けるのやめようかと思いました。
1年に1回の検査になったのでホッとしています。
母も兄もガンで亡くなっているので、常に転移のことが心配で気になりますが、日常生活は運動(太極拳・卓球・バドミントン 1時間半程度)趣味の編物、書も続けておりましたが、半月前に5時間ほど記憶が無くなり診断は、一過性健忘症でした。
その時も頭に転移したんじゃないかと考えたり、感情が高ぶりイライラしてつい主人にあたってしまいヒステリックになったりします。
運動のし過ぎでつかれたのかなーと反省したりしますが、性格的にじっとしていられないので、又運動等して、外に出かけるようにしたり。でもゆったりしたほうが良いのかなーと思ったり、少し悩んでおります。
不調が多発し一般病棟で対応しているが、QOLの大幅低下…
1、2001年にがん専門病院にて食道がん治療を行った。
化学・放射線治療で成功し、以後転移・再発はなく治療には感謝している。
2、しかしながら不調が多発し一般病棟で対応しているが、QOLの大幅低下をきたしている。腎機能低下、心臓弁膜症、不整脈、甲状腺機能低下ほか。
3、専門病院/一般病院間で
①副作用の予測と実績の共有化によるQOL UPもしくは、予防
②これらが患者に見える事。
以上のシステム化と改善を希望します。
