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がんと聞いたときは、意外に恐怖感もなく、「どんなウイッグ(かつら)かぶろうかな・・・」と考えていたなんて、呑気ものでしょう、ハハハハ。
知人たちにも早期だと抗がん剤もいらないのよ、と吹聴しています。
主人は、お酒もたばこも嗜まなかったのに、胃がんのため38歳で天国へ。単身赴任して、もはや42年経ちます。私は、血管破裂即死を免れ、今年76歳。ちょうど、主人の倍、歳を重ねました。もう、おまけの人生を送っている私へ主人から超特急の片道切符が届くのを待っています。(ドタキャンはしませんから。)
子供3人、孫7人。みんなで労わってくれて幸せです。笑顔でいましょう。

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今日も笑顔で一日過ごせた。いろんな事があるけど♪ケセラ セラ♪いつも笑顔でいるのが私の心性。おかげで幸せです。
2009(平成21)年12月、72歳の時、先天性動脈管開在あり、その先の検査で偶然、上行大動脈瘤が見つかり、心臓止め骨切り開き(アジのひらきみたい)を受けました。人工血管13cmほど取り替え10時間以上の大手術でした。主治医の先生は、お正月3が日も含め、毎日病室に来てくださって、本当に嬉しかったです。感謝しています。喉の片方(喉頭)が麻痺しましたが、そのほかは順調に回復し、2か月で退院しました。夜は自宅で在宅酸素吸入しています。
「病(や)めるとも 孫との談笑 春近し」
2010(平成22)年2月、退院前に孫が見舞いに来てくれた時の1句です。
一難去ってまた一難。
2011(平成23)年3月、右側の肩が「肩こりかな」と感じ、念のため、乳腺検査を受けたところ、左側にステージⅠの乳がんが見つかり、膠原病(強皮症)のため放射線治療が受けられず、全摘との説明を受けました。
私「いやや」。
先生「10時間もかかる手術を受けたのに、こんなの1時間で済むよ」。
先生に後押ししていただき、手術後は一度も痛むことなく1週間で退院しました。2年目も無事検査をクリアでき、先生に感謝です。

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6年弱続いた乳がん治療が終わり、その副作用が徐々に薄れ、手足末端の神経はまだまだ痺れているが気力が出てきた。ホルモン療法の副作用で疲れてしまい、3年間休んでいた太極拳。今年から美人の師匠から「お帰りなさい!」と云われて嬉しくなりまた始めた。瞑想(坐禅)も2年前から始めているし、ヨガも挑戦しようかと思っている。もちろん、新鮮な野菜は手術当時から家庭菜園で栽培し、定期的に送って貰った黒舞茸も加えて多食していた。今後は老化の進行を如何に遅くするかの戦いである。これもすべて患者会の皆さんと病院、サポートしてくれた妻のお蔭と感謝している。感謝!感謝!です。

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最近は、ホームページや学会誌に男性乳がん患者の治療症例も多数記載されるようなり、男性乳がん患者を小馬鹿にした「オカマ」の表現は無くなったと思っている。

米国、英国、豪州のように女性乳がんとは別に「男性乳がんの項目」を設けて、女性乳がん患者と男性乳がん患者の治療法が、何処が違っていて、どこが同じか。心のケアはどうすべきか。同じと違いをはっきりと区分して記述するように国立がんセンターや厚生労働省に男性乳がん患者の声を届けてほしい。日本人の約300名ぐらいの男性乳がん患者(死亡者;約100名)および奥様(家族)がどんなにか喜ばれることでしょう!!

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患者会の会員集めのために初めて行われた医師による講演会で、前座で「男性乳がん患者の体験談」も報告した。あれから患者会を通じて、多数のがん患者とおしゃべりし、先生方の講演も聴講し、また、インターネットのホームページからも学び、良いと思った事を実践した。

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2005 (平成17)年、乳がん告知後は早くこの異物(腫瘍)を切除して欲しく、喜び勇んで、故郷の英雄・新田次郎著「新田義貞」の上下2冊の本と「水森かおり」のカセットテープ、購入したばかりの携帯電話を持って病院15階に入院した。術後は胸から出るドレーン(管)がなくなるまでの14日間、廻り階段を上下して足腰を鍛えて、疲れて熟睡できるよう心がけ、産まれて初めての入院生活を楽しんだ。

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患者会で会員にがんに罹患する前にどんなドラマを抱えていたか、と質問したことがある。ほとんどの人が「ああ!思い当たることがある」と答えていた。そしてその大半がストレスだった。私も例外ではない。沢山の思い当たることがある。当然のことだと思う。人はこの世に生を受けた時から人生の波に晒される。小さな波もあれば、荒波もある。100%なにも無い人などいないに違いない。がんであってもなくても変わらないのではないかと思う。どんなにつらくても、苦しくても、人は生ある限り生きていかねばならない。インドではコブラは知恵の神様として厚い信仰を受けていると聞いている。それならば、蛇のようにくねくねと、様々な障害をかわしながら、知恵を働かして生きていけたらと願っている。

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2012(平成24)年1月24日、長年の夢であった「101日間―22ヶ国―地球一周の旅」に冬の横浜港より出港しました。なぜ私が63歳の今、この船旅をしようと決心したのか…。

塾で中学生を相手にテンションを上げ続けていた2009年(平成21)7月でした。大腸がんが見つかり手術、リンパ移転ありのステージⅢa・抗がん剤治療を10か月続け、幸いにも腫瘍マーカー値が基準内に収まりました。

いつか訪れたいと思っていた、世界の遺跡巡りをするのは今がチャンスだと思い、そしていっそのこと、地球一周をしようと夫の後押しを得て、1月24日の出港となったのです。

癌をかかえて乗船した私は、この船旅で自分の人生を自分流に生きている多くの人々と出会いました。下船後も北海道から沖縄、そして訪れた国の人々との交流は続き、私の旅は今もなお続いています。この船旅は、私にとってまさしく「キャンサーズ・ギフト」です。


→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

がん一万人の声70代 女性, 卵巣がん, 心身の支障

私は平成16年(2004年)1月頃、卵巣腫瘍が見つかり市民病院で摘出して…抗がん剤の副作用で便秘や髪の毛が抜け(平成20年頃)苦しみましたが、抗がん剤治療が終わり、6年かけてやっと毛が長くなったが今だ髪の毛は地がすけて見えるが…これも6年掛け養毛剤を使ってのことです。
肺に転移し、肺がんで平成21年(2009年)〜平成25年いっぱい放射線を月何回行きかけました。1回30分です。今の1年に1回は消えたが新しいの(腫瘍)が一つあり、小さいので様子を見ていましたが、此の所少し大きくなっているとの事。今年(平成26年)11月頃また病院に行き、放射線治療をするかどうか先生との話の上になります。
今は少し普通に歩いたり(5分程)、坂をのぼると呼吸困難で苦しくなります(前向きに歩いていますので…年も年ですし無理しないでいます)。別に痛みはありません。家の中位のこと出来ます。
病気にとらわれず、前向きに明るく生きることが大切だと思っています。

がん一万人の声75歳 男性, がん治療, 腎細胞がん

私は41歳の時急性肝炎で倒れ、一年間入院しました。それ以来75歳の今日まで14回入院し、8回手術を受けています。病名も多様で、急性肝炎、慢性肝炎、前立腺肥大、椎間板ヘルニア、左右のそけいヘルニア、消化管出血、そして右腎細胞がん、肝細胞がん3回です。これだけの病気に耐えてこられたのは、妻や家族の支えがあったからだと思います。
がんについては肝炎治療を継続して行う中、定期的に血液検査やCT、MRI検査を行っていましたので、4回とも発見が早く、早期治療が出来ました。がんは、早期発見、早期治療すれば決して怖い病気ではありません。