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がん一万人の声40代 男性, GIST, 経済的な不安

障害申請が非常にわかりづらい。初診日がわからないと申請自体ができないというのは制度的な欠陥なので、早期に改善が必要だと思います。
がん患者だけとは限らないですが、短い時間で労働できる制度があると助かります。ある程度の規模がある会社にそのような制度の義務付けをして、雇用を義務付けていけないだろうかと思います。

がん一万人の声60代 女性, わたしの宝もの, 認知症の夫が肺がんになった時

直腸がんが肺に転移しました。GW明け(2015年5月)に肺がんの手術をします。
初めは不安だったけれど、何をするにもこれが最後かもしれないと思い、一瞬一瞬を大切に生きています。
この一番辛い時に心の支えになってくれる仲間たちに感謝してます。この仲間たちこそが私の大切な宝ものです。

がん一万人の声60代 女性, 認知症の夫が肺がんになった時

72歳の夫が5年前に肺がんがみつかったが、認知症で当時は失語症だったため、主治医から手術を勧められなかった。現在は在宅で見守っている。夫の双子の兄も肺がんで手術をして、「弟(私の主人)は痛みに耐えられなかったろう」と言っていた。
本人に痛みが出ても、上手く薬を使えば楽に生活が出来ると聞き安心した。(本日の話はよかった。*2015年4月19日開催のがんカフェ)
訪問診療をしてもらっている先生から「自分が同じ立場になったとしても手術はしなかったと思いますよ」の言葉に私が選択した罪悪感から少し解放されたような気がしてうれしかった。
認知症の人は痛みをあまり感じないそうだが、そうであって欲しいと思う日々である。

がん一万人の声50代 女性, がん当事者の家族, 見送って思うこと

平成17年に実家の母を亡くしました。最期は腹部に大きな腫瘍がありましたが、オペ(手術)はせずにいました。次第に食べることができなくなり、それでもお腹は減るので「食べたい!食べたい!お腹が減った!」が口癖でした。誤嚥防止のためでしたが、どうにか食べさせてあげられなかったかと今も悔やまれます。平成21年には主人の母を肺がんで亡くしました。ホスピスで本当に心温まる治療を受けましたが、家が大好きな人だったので在宅でみてあげることができなかったのが今でも心残りです。
そして、今、大切な友人がALSで苦しんでいます。
彼女なりの思いがあり、すべての延命治療は拒否していますが、メールや会って話をすると「生きたい、死にたくはない」という思いが痛いほど伝わってきます。
がんの人もがんでない人も人間らしく生きていける道をたくさんの選択肢の中から選べるような医療になっていけるといいと思っています。

がん一万人の声60代 女性, 認知症の夫が肺がんになった時, 心身の支障

5年前に肺がんIAと診断され、九州がんセンターで手術をしました。幸い転移もなく、現在は半年に1度通院してます。がんになったら、いつ再発をしないだろうかと心休まる時がありません。

がん一万人の声50代 女性, 私の望むこと

郡部に住んでいる高齢のがん患者です。できるだけ、在宅で過ごすようにしていきたいです。
郡部のため、在宅医もいない。緩和ケアも浸透する必要がある状況だと思います。もう少し体制が充実することを希望します。

がん一万人の声, 乳がん50代 女性, 相談支援センター

がん拠点病院の中には、相談支援センターがわかりにくい場所にあるところもあります。職員の方がどこにあるのかわからない、と患者に答えた病院もありました。相談できないで一人で悩んでいる患者さんも多いです。せめてがん拠点病院の相談支援センターは、患者さんのためにしっかりと機能してほしい。

がん一万人の声60代 女性(遺族), 告知, 胸線がん

夫の余命告知を私は一人で医師から伝えられました。「治療しなければ余命半年、治療しても1~2年」。元気でしたから信じませんでしたが、結果として医師の言葉に間違いはありませんでした。今は、正確に迷いなく言ってくださったことに納得しております。「治療しても1~2年」は本人には最後まで伝えることができませんでした。それがよかったのかどうかはわかりません。しかし、夫は自ら死期を正確に悟っていました。側にいた私はそれで救われました。

がん一万人の声60代 女性(遺族), 就労, 胸線がん

8年前に夫を胸腺がんで亡くしました。今は、患者・家族支援活動をしております。先日、三人の方から仕事に関する悩みを聞きました。

A氏(肉腫 50代 男性)
<大手企業で働いていたが、上司にがんを打ち明けたとき、柔らかい言葉ながら直接的な強い退職勧告を受けた。職場で自分が全否定されたようで居場所がないように感じた。実際に稼働日数が少ない月もあり、職場に迷惑をかけているという意識にさいなまれた。この先どうなるのか見えず絶えず不安を抱えていた。収入、治療等で生活が一変し、家庭も崩壊寸前までいった。自己都合退職要求に対し、何とか会社都合退職に変更させた。今も経済的に厳しい状況が続いている。>

Bさん(脳腫瘍 50代 女性)
<Bさんががんになったとき、夫が彼女に相談しないで、看護のため退職してしまった。彼も悩んだはずだ。退職したことが本当によかったのだろうか?常に申し訳ない気持ちになる。>

Cさん(大腸がん 40代 男性)
<大腸がんの治療を続けながら非常勤で私立高校の教師を務めていた。抗がん剤の点滴をしながら教壇に立ったこともあった。この1年間でがん患者でもしっかり働けるという証明ができたと思っていたが、4月から失職することになってしまった。非正規は簡単に失職する。失職をがんのせいにはしたくない。「働くことが治療」だということを訴えたい。>

患者自身や家族が失職したり、自ら職を辞したりして苦労をしています。治すための治療のみならず、社会復帰のための治療も医療者に求められる時代となっています。また、事業主は従業員の誰もががんになりうることを理解し、がん患者の特性を理解し、患者従業員の相談に応じて、患者従業員がやれる仕事を工夫するなどの協力体制をとることが必要です。企業は患者従業員が収入を確保できる仕組みを作り、そういう企業を都道府県は公表したらいいのではないでしょうか。「がんになっても安心できる社会」が国の基本計画の目標にもなっています。理解のある企業にはインセンティブを、理解のない企業には行政指導で理解を求めていってほしいと思います。

がん一万人の声, 前立腺がん50代 男性, 抗がん剤の副作用

放射線治療の副作用にはそれなりに難儀し、未だ回復の途上です。主な副作用は、排尿障害、排便障害、肛門痛、腰痛で、同じ総合病院内の泌尿器科(主治医)、放射線科、(主治医からの指示で)整形外科にかかっていました。痛み、違和感は速やかに訴えました。心配事ははっきり回答を要求する聞き方をしました。例えば排尿障害で尿が出なくなったらどう対応したらいいか、等。重要でないことでも痛い場合はしつこく訴えて対応してもらいました。効きの悪い肛門痛の薬を替えてもらう、等。対応できる範囲で、医師たちはきっちり対応してくれましたが、腰痛は原因が判らずで、今も悩まされています。