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がん一万人の声70代 女性(遺族), がん治療、大切なこと, センイ肉腫

一昨日の晩のことだった。ちびりちびりと赤ワインを飲みながら見ていたテレビは、ニュース番組。「真実のゆくえ」という特集番組のタイトルが流れた。

見ていると、医科系の助教授をしていたらしいが、医師免許を持っていない70歳代の男の話だった。彼は「癌に効く」という触れ込みで、認可されていない自家製だかの薬を売りつけて、何千万だかを荒稼ぎしていたとのことだ。また、彼は注射を打つなど医療行為もしていたという。

話はそれるが注射行為がさも悪行のように言われるが、わたしでも簡単にできる技術だ。現に糖尿病の人が日常的に自分の手でインシュリンなどを打っているではないか。ただ投与される薬の選択は専門家の指導は必要だろう。それにしたって彼は医療機関で指導的立場にいた人だから、素人とは違う。単に資格を持っていなかったというだけだ。

またまた話がそれるが、老人ホームでわたしがボランティアをはじめた20数年前は許されていた利用者の方の緩んだ包帯を巻く、カット晩ひとつ貼ってあげることは今現在禁止事項である。素人の手で包帯を巻く、カット晩ひとつを貼る、いったいどんな重大な懸念があるというのだろう。神経質すぎるのではないだろうか?

ニセ医者のニュースは時々聞く。それが面白いことに彼らはその土地の人たちに結構評判がいいというのだ。明治以降西洋医療が主流になり、免許制になる以前は、自称「医者」で堂々と通用していたそうだから、案外医療行為なんてものは特別なことがない限り、そんなものでいいのかもしれない。

そうはいっても、治るか治らないかは別にして、極度に高度な機械化と細分化された現代医療では生半可の「チ・エ」では取り扱えないだろう。だから無資格の者の医療行為は許されない。犯罪行為なのだから、糾弾されても仕方ない。
その詐欺行為の被害者は、「癌はその薬を飲んでますます悪化していった」と言い、またある女性はそうとも知れず藁をもつかむ思いで夫に服用させて、結局は死なせてしまったという。彼女は「クヤシー!」と悔恨の涙に暮れる。

見ていたわたしは自分でも思いもよらず怒りのスイッチがはいって、飲んでいたワイングラスを叩きつけるように置いた。夫は「どうした?」とちょっとびっくりした様子でわたしを見た。

「隆宏はちゃんとした医者から、効くと言われる薬を飲んでいたんだよ!」と喚きながらいきなり居間を飛び出して、電気もつけず暗い階段で腰を下ろし、膝を抱えて泣いて泣いて泣いた。

どうにもならない怒りが湧いてきて止めようがなかった。

息子が亡くなって3、4か月、鳴き喚くわたしをどうやって扱っていいのかほとほと困っていたようだ。

「ねえ、あなたちょっと聞いてくれる?」

「ナンダ?」一瞬身構える夫。冷静に話そうと思った。しかしダメだった。みるみる涙が溢れてきた。

「どうしたんだ。何が言いたいんだ」夫が焦れてくる。

嗚咽をかみ殺しながら、

「昨日、テレビでニセ医者のことやっていたよね」

「うん」

「わたしの言うことが世間では通らないことは分かっている。無茶苦茶だということも分かっている。でもね、隆弘はニセの医者にかかってたわけじゃなかったのよ。県立のがんセンターで治療していたんだよ。それなのにただの一度も消えたとか、多少でも小さくなったとか、というようなことはまったくなかった。4年間何一つ良いことはなかった。足を切断して、その上抗がん剤を服用しながら、その副作用に苦しんだんだよ。それでもどんどん悪くなり、そして死んだのよ!いったいこのニセ医者とどれだけの違いがあるの?テレビはケチな詐欺師をこんな大々的にとり上げて、この世のものとは思えないほどの悪人と報道するけれど、まったく効果のない薬や治療で何千人、何万人という人間が死んでも、医者を詐欺師という人もいないし、責任をとれとも誰一人言わない。ケチな詐欺師の犠牲になったというけれど、隆宏いったい誰の犠牲になったの?悔しくて悔しくてしょうがないの…」。

わたしはりょうてで顔を覆って全身で泣き伏した。夫はそれこそ何一つ言わない。ただ顔が悲痛にゆがんでいた。

何もわたしは治療を受けさえすれば、どんな病気も治るなんて子どものように、ごねているのではない。
ただ息子が亡くなって以来4年間あまりに効果のなかった抗がん剤への不信感が募りに募ってきているのだ。治療中は絶大な信頼と希望をもっていた。それが屁ほどにも効かなかったのだ。

息子はニセ医者から怪しげな薬を投与されていたのではない。ちゃんとしたがん専門病院専門医の診察の元、厚生労働省が認可した薬を投与されていたのだ。主治医は誠心誠意治療にあたってくれた。
抗がん剤の新薬は研究段階で、その薬の延命効果がわずか2、3か月延びたという結果だけでも認可されるのだと聞く。がんが消えた、あるいは数年も命が延びたという結果なら納得がいくが、たった2、3か月命を延ばしただけでどんな意味があるのだろう。わずかでも延びた命をどう捉えるか人にもよるだろうが、わたしには患者の肉体的精神的苦痛を徒に延ばすだけのように思えて仕方ない。にも拘らず新薬は次々と開発され患者に投与される。数年前肺がんに効くとされる薬が開発されて話題になったことがあるが、それによって肺がんが激減したというニュースをわたしの知る限り聞いたことがない。

がん一万人の声70代 女性(遺族), がん治療、大切なこと, 白血病

主人が白血病で、半年間病室から出ることができず、ゴルフが好きな人だったので可愛そうだった。無菌室に入れられ面会禁止。出ることなく死去。がんでも最後まで動くことができ楽しむことができる人はまだいい。最初は食道がん、次に下咽頭がん、その時の放射線で白血病になったのかもしれない。

がん一万人の声60代 男性, がん治療、大切なこと, 中咽頭がん

2年前に末期といわれるステージIVの中咽頭がんの告知を受けました。先日のBS放送(がん特集)を視ての感想です。これだけ、患者数が増えている昨今なので、出版物や放送の本数も相当な量になるのはわかるのですが、有名人タレントが登場すると、さすがに食傷気味です。それより本当に情報がほしいのは、市井の人たちの取り組み方や生き方、家族との関わり方ではないでしょうか。

がん一万人の声, 大腸がん50代 女性, がん治療、大切なこと, 大腸がん

私の周囲にも亡くなった方、今、治療を頑張っている方がおられます。皆、完治してがんで亡くなる方がいなくなればいいなと願っています。不安がなくなれば、と思います。

→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

がん一万人の声, 大腸がん50代 女性, がん治療、大切なこと, 大腸がん

栄養指導は多くはやせてしまった方が対象で、副作用で太る場合もあるのに、それは重要視されていない。がんになってしまったのは結果で、病院は対処療法(手術・抗がん剤・放射線)を主にされるが、患者は健康になる方法を知りたい。がんの再発を待つような治療ではなく、ならない体づくりについてもっと教えてほしい。


→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

がん一万人の声, 大腸がん50代 女性, がん治療、大切なこと, 大腸がん

がん相談支援センターが病院にあるのですが、何の役割であるのかわからない。先生が忙しいから、先生に相談せずに支援センターで相談するのだが、「それは担当外」とか、患者から理解できない状態で余計に不安になる。

→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

がん一万人の声, 咽頭がんがん治療、大切なこと, 舌がん, 70代 男性

舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で3か月半入院。入院中に或る看護師さんの言葉で、一番印象に残った事をご紹介しておきます。
まだ流動食を摂っていた頃の話です。流動食なので歯を使うこともないので、毎日の歯磨きを省略していました。すると或る日のこと、その看護師さんが私に「M.Yさん、歯磨きをしていますか?」と言うのです。それで「流動食なので、止めています」と答えました。すると彼女が「歯磨きもそうですが、普段口を動かして来たことがリハビリになるのですよ」と諭すように言うのです。この一言は強烈なインパクトがありました。私は、そのときハッとしました。リハビリというのは、特別の訓練をすることではなく、健康な頃やっていたのと同じことをやることなのだ、と悟りました。
以来、言葉だけでなく食べる事も身体の筋肉強化もすべて、健康な時代と同じようにすることが基本なのだと考え、そのように努力しています。私にとっては毎日の生活がリハビリそのものです。
入院中の患者さんには、「決して失望しないでください。私のような事例もありますから・・」と申し上げたいと思います。
しかしそうは言っても、私の患者会に登録された人34人のうち、すでに15名の方が亡くなられています。決して情況は明るいわけではありません。私は、今なお生き残れている自分は運が良かったのだと思っています。
しかし当時のM看護師長さんとの約束がなければ、ここまで頑張ったかどうか分かりません。また看護師さん達からの情報や叱咤がなければ、努力する気も起きなかっただろうと思います。
当時、患者会がなかったので、他人の話を聞くことも出来ませんでした。
しかし現在は、患者会に出席することで勇気づけられる事もあるでしょうし、役立つ情報があるかも知れません。夫々の方が多くの他人から情報を得て、自分なりの工夫をされることを願っています。
私は退院するときに、生意気にもM看護師長さんに「手術というのは治療の前半に過ぎず、後半がある。それは<ベッド・サイド・ケア>だけでなく<機能回復への手引き(働きかけ)>までのファイナル・ナーシングである。」と書き置きしました。
入院中は看護師さん達のケアを受けても、退院後の「自分のケア」は、患者同士の相互扶助と自助努力でやるべきものだと思っています。
入院当時を振り返る度に、いつも家族がよく支えてくれたことを思い出します。そうした家族を持てたことに「幸せ」を感じています。
そして、病院の方々に対する感謝の気持ちも忘れたことがありません。(「口腔咽頭がん患者会」提供)

がん一万人の声70代 女性, がん治療、大切なこと, 肝臓がん

先生は信頼のできる方で、安心して入院、術後も快調でした。もうこれでがんは無くなったと思ってほっとしていたのですが、そう簡単には開放されませんでした。がんは毎年出てきて、今年で3回目の入院、ラジオ波の治療を受けました。でも今日私が元気でいられるのは、入院して処置して頂いているからと感謝しています。
私のがんが消えるとは思いませんし、この治療がいつまで続くのかわかりませんが、終わるその時まで、元気に入退院を繰り返しつつ、楽しく人生を過ごしたいと願っています。

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癌を契機に、闘病記的なHomepageを開設し、Facebookも始めてみました。これらは主に大学時代の旧友とのつながりに貢献しています。大学卒業以来会っていなかった旧友何人かとも再会でき、こちらもミニ同窓会的会合を3か月に一度程度でやっていこうとの話になりました。昨年まで学生時代の友人とはほとんど交流がなかったのですが、癌になって人とのつながりを大事だと感じるようになり、このようにインターネット時代の恩恵を受けています。そして多くの友達に囲まれていることに改めて気づきました。他方、癌そのもの、そしてそれが前立腺癌であるがゆえ、大好きな自転車 (毎年4,000~7,000kmくらい乗ってました!) に乗れなくなってしまったことは不幸な現実として横に置くとして、上記のようによかったこともあったわけですが、もちろん、いいことばかりではありませんが。

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私は病気とは闘わないことにしています。病気も身内だからです。特にがんが見つかった時には「がんよ私を殺すなよ。私が死ねばお前も死ぬのだぞ」と呼びかけています。