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がん一万人の声がん治療, 直腸がん, 80代 女性

がんなんて誰でも持っている細胞だ。昔はやせ細って亡くなる。がんで亡くなったとヒソヒソ話。がんを恐れていた。
しかし昨今では、まるまる太って元気そうな人も、野球をしている人も、がんを患っている人もいるという。
私は、そのがんに蝕まれた。普段はピンピンして生活していたところ、ふと便に腐葉土のようなものがトイレの中に落ちている。
あれ?何だろう?!デイサービスの看護師に見てもらうと「明日、病院に行きなさい」と強く言われた。
近所の内科へ走った。すぐ腸カメラでみること15分。先生が紹介状を書いてあげるから大きな病院へ行ってくださいと言った。
それから翌々日はまな板の上の鯉(体が大きいのでまな板の牛)。直腸に進行性のがんが集結していたらしい。
3時間余りの術後は別天地。真っ白なベッドに寝かされていた。あ~、これですっきり!
温存されていた体力で回復は早い。
がんは早期発見。有無を言わせず切り開き全ての悪者を取り除く事が大切だと思う。
執刀医の先生に万感の感謝を申し上げ、看護師さんの白き小指にありがとうございました、と大声で申し上げます。

病棟にて記す。

がん一万人の声70代 女性(遺族), がん治療, 白血病

夫は白血病で死去。この10年、全体的に病院が底上げされたと思います。自分のネームプレートを見せて「こういう者です」とあいさつしてくれた医師。救急で運ばれた時は安心しました。
一方で主人にIVHを入れるために、主治医は30分もこねくり回し、主人は恐怖を味わった。最初から信頼関係を築けなかった。医師は「血管が曲がっている」とか患者のせいにした。麻酔の先生に代り、スムーズにいった。主治医からは謝罪の言葉もなかった。もっと早く、「主治医を変えてくれ」と言えばよかった。

がん一万人の声, 乳がん40代 女性, がん治療, 乳がん(家族)

私は医療者であり、がん患者の家族です。
今、母が乳がんの治療をしています。補助化学療法で、第3相試験で効果は同じだが、副作用が強いため、これまで主流だった3剤併用の抗がん剤ではなく、2剤併用の抗がん剤の方がよいということがわかりました。広く論文が出回ったのは昨年の12月です。半年たっていますが、今、母が治療を受けている病院では、これまで3剤併用の治療を行っているという理由だけで、2剤ではなく、3剤併用の抗がん剤治療を受け、副作用に苦しんでいます。
病院で勤務していると、抗がん剤治療のことがよくわからない医師が治療しているので大変危険な治療が行われています。委員会の中でもいろいろ発言し、安全な抗がん治療が行われるように組織に働きかけていますが、コメディカルの意見は届きません。最新の情報を持って適切な治療を患者に届けるには、主治医一人の判断で治療方針を決めないように、個々の病院の中で行うのではなく、日本のがん治療の体制としてあればよいのにと思います。例えば、抗がん治療に明るい腫瘍内科の意見、または指示を得るなど、患者のことを第一に思って、医療者間での話し合いが行えるようなシステムがほしいと思いました。

がん一万人の声, 大腸がん50代 女性, がん治療, 大腸がん

2つのがんが、再発でも転移でもなく起こると、大学病院で乳腺外科、下部消化器外科と先生が異なる。大腸は市立病院で手術したので当初よりの担当医でないので、自分の身体のことを理解してもらうのが難しい。


→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介

がん一万人の声40代 男性, GIST, がん治療

がんサロンの場に“緩和ケア”“在宅ケア”に関わっているスタッフに来てもらって話をしてもらうことで理解をひろげていくのはどうでしょうか。

がん一万人の声, 咽頭がん70代 男性, がん治療, 舌がん

今から5年半前に舌癌のために、舌の3分の2と首の両側のリンパ節をすべて切除しました。いわゆる舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術との両方を受けました。約11時間の手術でした。舌については、太ももから採った皮弁で再建しております。奥歯は上下ともありません。
皆さんも、手術後の痛みがどれほどのものかは経験済みですが、私の場合も手術後の1週間は地獄の日々でした。この1週間は、ただただ激痛をこらえる事、痛みに耐える事、それしか考えていませんでした。それが1日の時間のすべてでした。生活のすべてでした。胸から頭のてっぺんまで、猛烈に腫れあがって、その痛みと頭痛に苦しみました。
毎日看護師さんが顔を拭くようにと熱いタオルを差し入れてくれるのですが、痛くて顔を拭くことすら出来ませんでした。それができるようになったのは、手術後1ヶ月経ってからのことでした。
当時は38度以上の熱で灼熱地獄にでも居るような苦しさで、全身汗でびっしょりでした。それで顔をウチワであおいでもらったら、髪の毛がかすかに動くだけで、痛くて耐えられないほどでした。
舌は2~3倍に腫れ上がり、3分の1しかないのに、口からあふれんばかりでした。鼻に差した管が動いたときの脳に走る痛烈な激痛や、またノドのカニューレのせいで、年中セキが止まらず、その都度胸に熱い激痛が走ったことを今でも忘れることが出来ません。
いつも高熱と頭痛にうなされていて、よく幻覚を見ました。目をつぶると、周りにいる人の声は聞こえるのですが、奇妙なことに天井からスルスルとカーテンが降りて来たり、自分がゴミの山の中で寝ていたり、天井が砂漠に変わって、そこに砂嵐が吹いているのです。自分がそんな妙な環境に居ることを不思議とも思わず、それが現実の世界だと信じていました。今考えると、明らかに幻覚でした。(「口腔咽頭がん患者会」提供)

がん一万人の声, 乳がん40代 女性, がん治療, 乳がん

告知から検査を経て1カ月後の8月に手術をうけました(右胸全摘)。 グルグルと色々な思いが巡って一周。自分でも不思議なくらいスッキリとした気持ちになっていました。
それから患者会のことを入院中に知り、退院してから少しして勉強会に参加させていただきました。心配性の母も連れていったのですが、二人ともとても元気をもらって、更に前向きになれました。
「病は気から」とよく言われますが、確かにこわいけれども、どう向き合えるかで自分の中から変えられると思います。
病気になってわかったこと、気付かせて頂いたことがたくさんあります。周りに感謝だなーと思います。9月からはじまった半年の抗がん剤も前向きで臨み、3月に終了しました。
1月から職場復帰しています。毎日慌ただしいですが、自分をいたわり、また生きていることを実感して楽しみたいと思います。

がん一万人の声がん治療, 腎細胞がん, 75歳 男性

私は41歳の時急性肝炎で倒れ、一年間入院しました。それ以来75歳の今日まで14回入院し、8回手術を受けています。病名も多様で、急性肝炎、慢性肝炎、前立腺肥大、椎間板ヘルニア、左右のそけいヘルニア、消化管出血、そして右腎細胞がん、肝細胞がん3回です。これだけの病気に耐えてこられたのは、妻や家族の支えがあったからだと思います。
がんについては肝炎治療を継続して行う中、定期的に血液検査やCT、MRI検査を行っていましたので、4回とも発見が早く、早期治療が出来ました。がんは、早期発見、早期治療すれば決して怖い病気ではありません。