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がん一万人の声60代 女性, 国に求めたいこと, 悪性リンパ種

国に求めたいことは抗がん剤治療を含め、総合診療だけでなく、経済的に大変な人たちが平等に治療を継続できるような医療を願っています。

がん一万人の声80代 女性, がん治療, 直腸がん

がんなんて誰でも持っている細胞だ。昔はやせ細って亡くなる。がんで亡くなったとヒソヒソ話。がんを恐れていた。
しかし昨今では、まるまる太って元気そうな人も、野球をしている人も、がんを患っている人もいるという。
私は、そのがんに蝕まれた。普段はピンピンして生活していたところ、ふと便に腐葉土のようなものがトイレの中に落ちている。
あれ?何だろう?!デイサービスの看護師に見てもらうと「明日、病院に行きなさい」と強く言われた。
近所の内科へ走った。すぐ腸カメラでみること15分。先生が紹介状を書いてあげるから大きな病院へ行ってくださいと言った。
それから翌々日はまな板の上の鯉(体が大きいのでまな板の牛)。直腸に進行性のがんが集結していたらしい。
3時間余りの術後は別天地。真っ白なベッドに寝かされていた。あ~、これですっきり!
温存されていた体力で回復は早い。
がんは早期発見。有無を言わせず切り開き全ての悪者を取り除く事が大切だと思う。
執刀医の先生に万感の感謝を申し上げ、看護師さんの白き小指にありがとうございました、と大声で申し上げます。

病棟にて記す。

がん一万人の声40代 女性, イギリスからの声, がん当事者の家族

末期がんの母との最期を過ごした経験含めての感想です。

母は、最初の乳がんを発症してから、約5年近くは手術と抗がん剤で病気とうまく付き合いながら母なりに楽しい人生を送っていました。その後、肺に転移が見つかりました。しかし母は病気と闘う事をがんが頸椎に転移して歩けなくなるまでは諦めませでした。歩けなくなると介護が必要になり、父は自宅で最期を迎えたいと言う母の意見を尊重し自宅介護の手配をはじめていました。そんな中、父が突然心臓麻痺で急死し、母の生きる気力急速に下がって行きました。父の葬儀の手配や、父の経営していた会社の処理に追われ当面の母の自宅介護を進める事は不可能になり、緩和ケアを姉と弟と探しました。しかし、母の地元には緩和ケアがなく、一番近い隣の県の緩和ケアも6ヶ月待ちといわれました。6ヶ月も余命が無いのに…。
何とかがん患者でも受け入れてくれる老人ホームを見つけたのですが、老人ホームではがんケアの場所ではないので何かがある度に救急車を呼ばなくてならず、入退院の繰り返しでした。
そして、父が亡くなってから3ヶ月後、落ち着いた最期を迎える事はないまま母は病院で亡くなりました。

イギリスに住み数人のがん患者さんをお世話させてもらった経験から、言わせていただくと、日本の緩和ケアはまだまだ成長が必要だと思いました。こちらでは緩和ケアは大きな病院と付属してあり、その日すぐに入れます。そしてもし、がん患者が老人ホームなどにいても、病院から医師や看護婦が頻繁に訪れて来てくれる上、チャリティー団体から、pain control専門の看護婦を派遣してモルヒネを投与してくれたり、夜つきっきりで看護してくれたりもします。
今後、日本の緩和ケアも変わって行く事を願ってます。

がん一万人の声60代 男性, 中咽頭がん, 死生観

患者会では必ずネガティブなことを言わなければならないのか。司会の人に地域差の話題をされると秋田に住みたくなくなった。

がん一万人の声70代 女性, 直腸がん, 私のできること

34歳で手術し39年経過しました。
日本オストミー協会でボランティアをしています。
みなさんから多くの力をもらって今があります。

平成27年4月に夫(77歳)が大腸がんの手術をしましたが3ヶ月経って現在とても元気に生活しており、次回の診察は11月でと言われて一安心というところです。

がん一万人の声60代 女性, すい臓がん, 私のできること

平成23年(2011年)12月にすい臓がんの手術を受けています。
・すい頭部三分の一・胃三分の一・たんのう・十二指腸を切除。私にとっては大手術でした。開いてみないと手術ができるかわからないとの先生の説明でしたが、現在に至っています。
ありがたいことです。
他の方との交流ができたらと思い、ペンをとりました。
よろしくお願いいたします。

がん一万人の声中枢神経原発悪性リンパ腫, 告知, 60代 女性

私のがん種は希少がんです。10万人に1人と云われ、ほとんど身の回りに同病の人はいません。
去年から社会福祉センターの委員からご紹介され、リンパ腫患者2人と知り合いになりました。2人とも男性でなかなかコミュニケーションを持つ機会が少ないのが残念でなりません。もう少しいろいろな団体で希少がん患者を集めた会合が開かれることを希望します。
またリンパ腫の勉強会も3か月~6か月で良いので定期的に会合があると良いと思います。

がん一万人の声70代 女性(遺族), がん治療、大切なこと, センイ肉腫

一昨日の晩のことだった。ちびりちびりと赤ワインを飲みながら見ていたテレビは、ニュース番組。「真実のゆくえ」という特集番組のタイトルが流れた。

見ていると、医科系の助教授をしていたらしいが、医師免許を持っていない70歳代の男の話だった。彼は「癌に効く」という触れ込みで、認可されていない自家製だかの薬を売りつけて、何千万だかを荒稼ぎしていたとのことだ。また、彼は注射を打つなど医療行為もしていたという。

話はそれるが注射行為がさも悪行のように言われるが、わたしでも簡単にできる技術だ。現に糖尿病の人が日常的に自分の手でインシュリンなどを打っているではないか。ただ投与される薬の選択は専門家の指導は必要だろう。それにしたって彼は医療機関で指導的立場にいた人だから、素人とは違う。単に資格を持っていなかったというだけだ。

またまた話がそれるが、老人ホームでわたしがボランティアをはじめた20数年前は許されていた利用者の方の緩んだ包帯を巻く、カット晩ひとつ貼ってあげることは今現在禁止事項である。素人の手で包帯を巻く、カット晩ひとつを貼る、いったいどんな重大な懸念があるというのだろう。神経質すぎるのではないだろうか?

ニセ医者のニュースは時々聞く。それが面白いことに彼らはその土地の人たちに結構評判がいいというのだ。明治以降西洋医療が主流になり、免許制になる以前は、自称「医者」で堂々と通用していたそうだから、案外医療行為なんてものは特別なことがない限り、そんなものでいいのかもしれない。

そうはいっても、治るか治らないかは別にして、極度に高度な機械化と細分化された現代医療では生半可の「チ・エ」では取り扱えないだろう。だから無資格の者の医療行為は許されない。犯罪行為なのだから、糾弾されても仕方ない。
その詐欺行為の被害者は、「癌はその薬を飲んでますます悪化していった」と言い、またある女性はそうとも知れず藁をもつかむ思いで夫に服用させて、結局は死なせてしまったという。彼女は「クヤシー!」と悔恨の涙に暮れる。

見ていたわたしは自分でも思いもよらず怒りのスイッチがはいって、飲んでいたワイングラスを叩きつけるように置いた。夫は「どうした?」とちょっとびっくりした様子でわたしを見た。

「隆宏はちゃんとした医者から、効くと言われる薬を飲んでいたんだよ!」と喚きながらいきなり居間を飛び出して、電気もつけず暗い階段で腰を下ろし、膝を抱えて泣いて泣いて泣いた。

どうにもならない怒りが湧いてきて止めようがなかった。

息子が亡くなって3、4か月、鳴き喚くわたしをどうやって扱っていいのかほとほと困っていたようだ。

「ねえ、あなたちょっと聞いてくれる?」

「ナンダ?」一瞬身構える夫。冷静に話そうと思った。しかしダメだった。みるみる涙が溢れてきた。

「どうしたんだ。何が言いたいんだ」夫が焦れてくる。

嗚咽をかみ殺しながら、

「昨日、テレビでニセ医者のことやっていたよね」

「うん」

「わたしの言うことが世間では通らないことは分かっている。無茶苦茶だということも分かっている。でもね、隆弘はニセの医者にかかってたわけじゃなかったのよ。県立のがんセンターで治療していたんだよ。それなのにただの一度も消えたとか、多少でも小さくなったとか、というようなことはまったくなかった。4年間何一つ良いことはなかった。足を切断して、その上抗がん剤を服用しながら、その副作用に苦しんだんだよ。それでもどんどん悪くなり、そして死んだのよ!いったいこのニセ医者とどれだけの違いがあるの?テレビはケチな詐欺師をこんな大々的にとり上げて、この世のものとは思えないほどの悪人と報道するけれど、まったく効果のない薬や治療で何千人、何万人という人間が死んでも、医者を詐欺師という人もいないし、責任をとれとも誰一人言わない。ケチな詐欺師の犠牲になったというけれど、隆宏いったい誰の犠牲になったの?悔しくて悔しくてしょうがないの…」。

わたしはりょうてで顔を覆って全身で泣き伏した。夫はそれこそ何一つ言わない。ただ顔が悲痛にゆがんでいた。

何もわたしは治療を受けさえすれば、どんな病気も治るなんて子どものように、ごねているのではない。
ただ息子が亡くなって以来4年間あまりに効果のなかった抗がん剤への不信感が募りに募ってきているのだ。治療中は絶大な信頼と希望をもっていた。それが屁ほどにも効かなかったのだ。

息子はニセ医者から怪しげな薬を投与されていたのではない。ちゃんとしたがん専門病院専門医の診察の元、厚生労働省が認可した薬を投与されていたのだ。主治医は誠心誠意治療にあたってくれた。
抗がん剤の新薬は研究段階で、その薬の延命効果がわずか2、3か月延びたという結果だけでも認可されるのだと聞く。がんが消えた、あるいは数年も命が延びたという結果なら納得がいくが、たった2、3か月命を延ばしただけでどんな意味があるのだろう。わずかでも延びた命をどう捉えるか人にもよるだろうが、わたしには患者の肉体的精神的苦痛を徒に延ばすだけのように思えて仕方ない。にも拘らず新薬は次々と開発され患者に投与される。数年前肺がんに効くとされる薬が開発されて話題になったことがあるが、それによって肺がんが激減したというニュースをわたしの知る限り聞いたことがない。

がん一万人の声70代 男性(家族), 子宮体がん, 私のできること

妻が子宮対がんと間質性肺炎です。
本年5月より、自宅の一部開放で「ほっとサロン」を毎水曜日午後2時から4時まで開設しました。「がん患者と友人・親族の会」と「遺族・友人の会」を交互に行なっています。今後、活動の場(当事者の集いの場)として、認知症家族や自死遺族の会や、死生観を語り合うなどに広げていきたいと考えています。やはり、急性期医療の現場で十分な相談や納得ができないまま治療に入り、思うような結果が得られず、「これでよかったのか」と、悶々とされている患者さんやご家族は少なくありません。今後、患者と家族ケア、子どもの命やがん教育の場が、さまざまな形で広がってほしいと思います。