今後、癌サバイバーに関する報道姿勢が患者さんや支援者の情報発信により変化していくことが、重要です。
学校教育が大切だ。子供から…
学校教育が大切だ。子供から親へ検診の働きかけも有効。国へ要望した結果、現在は行政が学校教育にも力を入れるようになった。
直腸に進行性のがんが…
がんなんて誰でも持っている細胞だ。昔はやせ細って亡くなる。がんで亡くなったとヒソヒソ話。がんを恐れていた。
しかし昨今では、まるまる太って元気そうな人も、野球をしている人も、がんを患っている人もいるという。
私は、そのがんに蝕まれた。普段はピンピンして生活していたところ、ふと便に腐葉土のようなものがトイレの中に落ちている。
あれ?何だろう?!デイサービスの看護師に見てもらうと「明日、病院に行きなさい」と強く言われた。
近所の内科へ走った。すぐ腸カメラでみること15分。先生が紹介状を書いてあげるから大きな病院へ行ってくださいと言った。
それから翌々日はまな板の上の鯉(体が大きいのでまな板の牛)。直腸に進行性のがんが集結していたらしい。
3時間余りの術後は別天地。真っ白なベッドに寝かされていた。あ~、これですっきり!
温存されていた体力で回復は早い。
がんは早期発見。有無を言わせず切り開き全ての悪者を取り除く事が大切だと思う。
執刀医の先生に万感の感謝を申し上げ、看護師さんの白き小指にありがとうございました、と大声で申し上げます。
病棟にて記す。
末期がんの母と…
末期がんの母との最期を過ごした経験含めての感想です。
母は、最初の乳がんを発症してから、約5年近くは手術と抗がん剤で病気とうまく付き合いながら母なりに楽しい人生を送っていました。その後、肺に転移が見つかりました。しかし母は病気と闘う事をがんが頸椎に転移して歩けなくなるまでは諦めませでした。歩けなくなると介護が必要になり、父は自宅で最期を迎えたいと言う母の意見を尊重し自宅介護の手配をはじめていました。そんな中、父が突然心臓麻痺で急死し、母の生きる気力急速に下がって行きました。父の葬儀の手配や、父の経営していた会社の処理に追われ当面の母の自宅介護を進める事は不可能になり、緩和ケアを姉と弟と探しました。しかし、母の地元には緩和ケアがなく、一番近い隣の県の緩和ケアも6ヶ月待ちといわれました。6ヶ月も余命が無いのに…。
何とかがん患者でも受け入れてくれる老人ホームを見つけたのですが、老人ホームではがんケアの場所ではないので何かがある度に救急車を呼ばなくてならず、入退院の繰り返しでした。
そして、父が亡くなってから3ヶ月後、落ち着いた最期を迎える事はないまま母は病院で亡くなりました。
イギリスに住み数人のがん患者さんをお世話させてもらった経験から、言わせていただくと、日本の緩和ケアはまだまだ成長が必要だと思いました。こちらでは緩和ケアは大きな病院と付属してあり、その日すぐに入れます。そしてもし、がん患者が老人ホームなどにいても、病院から医師や看護婦が頻繁に訪れて来てくれる上、チャリティー団体から、pain control専門の看護婦を派遣してモルヒネを投与してくれたり、夜つきっきりで看護してくれたりもします。
今後、日本の緩和ケアも変わって行く事を願ってます。
地域格差…
患者会では必ずネガティブなことを言わなければならないのか。司会の人に地域差の話題をされると秋田に住みたくなくなった。
セカンドオピニオン…
セカンドオピニオン(を受けたい)
希少がんの治療法…
希少がんの治療法の確立を望みます。患者ひとりひとりの声はとても大切なことだと今日の皆様の話(がんカフェ in 秋田)で感じました。
秋田の人も声をあげてほしい…
(がんカフェin秋田に参加して)がん患者さんの声、特に秋田県民の方の声はなかなか聞く機会が少ないのでとてもよかったです。ひとりで思いを出せずにいる人が多いので、ストレスがたまって余計に病が悪くなることもあります。是非、秋田の人も声をあげてほしいと思います。
希少がんの患者さんと会えて…
希少がんの患者さんと会えてうれしかったです。また、仲間が増えたら嬉しいです。
生きることを大切にしたい…
術後7年目の胃がん患者です。
今考えることは、不安や苦痛等の答えの出ないことはあまり考えずに、目の前にある自分の仕事(家事や孫の世話など)を楽しみながらこなすこと。楽しく、体に負担のないように生きることを大事にしたいと考えています。美味しいものを食べ、きれいなものをみて感動すると。10年目を目標にして生活しています。
