Vol.16 本間泰さん、薫さん(福岡県)
舌がんステージⅣを乗り越え、フルマラソンに挑戦。涙のゴール。
楽しくいこう!・・・
がんになって生きる事の大事さを知った。
しようもない事でなやむな!
とにかく今年は来年は・・・
健康が一番、と思えるようになった。
楽しくいこう
収入は、ありません。仕事を辞めた後は心と時間がぽっかり穴が空き・・・
鼻腔ガン、胃ガン、腹壁はんこんヘルニア、胃腸がうごかないなどで入退院、休職しました。抗がん剤、放射線治療もしました。90才近くの両親の介護などありました。教職を離れ、もうじき一年が経とうとしています。収入は、ありません。仕事を辞めた後は心と時間にぽっかり穴が空き、泣いてばかりの毎日を過ごしていました。現在は、母と出かけたり、母の老人ホームの方とお喋りしたり、絵手紙や切り絵などして暮らしています。今、一番うれしい。元気になるときは、人の笑顔と感謝の言葉です。
ハンドクリームで、施設のおばあちゃんにマッサージすると、「内からも外からもきれいになった。ありがとう」。
歯がないお爺ちゃんは、施設のみんなから「英語で話しよる」と。また、「床を這って・・・」と敬遠されています。私と何となく二人で話していて、「分かるよー」と言うと、隣で聞いていたおばあちゃんが、ぼそっと、「分かる。分かる」と呟かれました。その言葉にお爺ちゃんは、涙でした。
また、母と作ったお雛様を、食堂にはると、つっけんどんだったおばあちゃんが、「あかりを付けましょ ぼんぽりにー」と歌い出されました。「わぁー、よく歌詞を覚えていらっしゃって、声がきれいですね」と申しあげると、握手してくださり、「私も、うれしい❗」と、力強く手を握ってもらいました。
母とおやつを一緒に食べると、必ず自分のを半分、私にくれます。「おいしかよー。食べてごらん」と言ってくれます。そんな時が、今一番大事な時間です。いつも手を合わせて、「ありがとう」と言う母に、「ありがとう。笑顔や認めてくださったお言葉に、ありがとう」の日々です。
このように言えるまで時間がかかりました。たくさんの出会いは、私の宝物です。
転移が心配…
甲状腺がんの手術をしましたが、朝起きたらすぐにチラーヂン100を1錠飲むだけで、全然痛みも何もありません。
けれど転移は心配で、すい臓に水泡が出来ていて爆弾を抱えています。お薬は何も飲んでいません。半年に一回、一年に一回検査をするくらいです。
他に色々な病気を抱え、病院のはしごをしています。すい臓がんにならないよう祈るばかりです。
手術というのは治療の前半に過ぎず、後半がある…
舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で3か月半入院。入院中に或る看護師さんの言葉で、一番印象に残った事をご紹介しておきます。
まだ流動食を摂っていた頃の話です。流動食なので歯を使うこともないので、毎日の歯磨きを省略していました。すると或る日のこと、その看護師さんが私に「M.Yさん、歯磨きをしていますか?」と言うのです。それで「流動食なので、止めています」と答えました。すると彼女が「歯磨きもそうですが、普段口を動かして来たことがリハビリになるのですよ」と諭すように言うのです。この一言は強烈なインパクトがありました。私は、そのときハッとしました。リハビリというのは、特別の訓練をすることではなく、健康な頃やっていたのと同じことをやることなのだ、と悟りました。
以来、言葉だけでなく食べる事も身体の筋肉強化もすべて、健康な時代と同じようにすることが基本なのだと考え、そのように努力しています。私にとっては毎日の生活がリハビリそのものです。
入院中の患者さんには、「決して失望しないでください。私のような事例もありますから・・」と申し上げたいと思います。
しかしそうは言っても、私の患者会に登録された人34人のうち、すでに15名の方が亡くなられています。決して情況は明るいわけではありません。私は、今なお生き残れている自分は運が良かったのだと思っています。
しかし当時のM看護師長さんとの約束がなければ、ここまで頑張ったかどうか分かりません。また看護師さん達からの情報や叱咤がなければ、努力する気も起きなかっただろうと思います。
当時、患者会がなかったので、他人の話を聞くことも出来ませんでした。
しかし現在は、患者会に出席することで勇気づけられる事もあるでしょうし、役立つ情報があるかも知れません。夫々の方が多くの他人から情報を得て、自分なりの工夫をされることを願っています。
私は退院するときに、生意気にもM看護師長さんに「手術というのは治療の前半に過ぎず、後半がある。それは<ベッド・サイド・ケア>だけでなく<機能回復への手引き(働きかけ)>までのファイナル・ナーシングである。」と書き置きしました。
入院中は看護師さん達のケアを受けても、退院後の「自分のケア」は、患者同士の相互扶助と自助努力でやるべきものだと思っています。
入院当時を振り返る度に、いつも家族がよく支えてくれたことを思い出します。そうした家族を持てたことに「幸せ」を感じています。
そして、病院の方々に対する感謝の気持ちも忘れたことがありません。(「口腔咽頭がん患者会」提供)
ショックだったのは、ベッドから降りられなかったこと…
舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で3か月半入院。私は入院の後半には、自分の身体が余りにも自由に動かないので、一生懸命にリハビリ体操をやりました。
ところが、自宅に帰ってショックだったのは、翌朝自分のベッドから降りようとして、降りられなかったことでした。身体を横向きにして身体を起こそうとしても起き上がれないのです。悪戦苦闘の末やっと降りられたという有様でした。よく考えたら、病院のベッドは電動で身体を起こしてくれる上に、手すりがあるのです。それでベッドを降りられたのです。我が家のベッドは、そんな便利になっていないので、降りられなかったのです。一番の原因は、腹筋も背筋も全く萎えてしまったことにある、と悟りました。
それで退院後は、毎晩散歩を欠かさず、しかも散歩中は声を出して言葉の訓練を必死でやりました。当初は、こうした訓練も楽ではありませんでしたが、いつの間にか慣れて来ました。
現在は、毎朝ベッドの上でストレッチ体操と腹筋体操をやっていますが、それと同時に入浴時の首や胸のマッサージをやっています。少しでも首の周りの違和感を和らげるためです。
私は入院する前には、ゴルフをやっていてハンディキャップは11でした。退院したら何とか再開したいと思い、練習場に通いました。当初は一番短いクラブを振っても1球打つ度に、首から肩に掛けて、ツキーンと痛みが走り、ボールを20ヤード飛ばすのがやっとでした。
でも1年もすると、ボールを飛ばせるようになり、ゴルフ場に行きプレーしました。しかし他のプレーヤーに言葉が通じないとか、食事の時間が短過ぎるといった色々な問題があって、とうとう一番の趣味だったゴルフを諦めざるを得ませんでした。
これらの体験から、しゃべる事、食べる事、歩く事など、一見お互いに無関係に見える筋肉ですが、実はすべてが連動していて、それらすべてがリハビリに繋がっていると感じています。(「口腔咽頭がん患者会」提供)
食べやすいのは、ご飯でした。噛むと粘りが出るから…
舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で3か月半入院。退院直後は、もっぱら流動食でした。家内は各種のフードプロセッサーやミキサーなどを購入し、とても大変だったようです。しかし流動食というのは、まずいのです。
あるとき、赤ん坊用のビスケットを食べたら、固形でも食べられたのです。それをキッカケに、固形のまま食べることに挑戦しました。実は、固形食の方がおいしいのです。
元々舌がないので、味覚は無いようなものですが、ある程度は分かります。ただ、味をすぐに感じることが出来なくて、飲み込んだ後で味覚を感じます。その後分かったことですが、実は匂いも味覚に関係することが分かりました。ですから、お刺身のトロを食べても、こんにゃくと同じで、味がしません。しかし温かい天ぷらは味がします。油の香りが味を思い起こさせるようです。
一番食べやすいのは、ご飯でした。噛むと粘りが出るからです。それで飲み込み易くなります。
しかし、肉などは中々粘りが出ないので、苦労します。
骨のある魚も食べられません。どんなに小骨を取り除いたつもりでも、必ず残っています。困ったことに、舌がないと小骨があっても、口の中ではその感触がありません。ノドに刺さりそうになったことが何度もあり、もう食べるのを止めました。
以前は、ソバやうどんが食べられませんでした。下を向いて口を開けると、口の中の食べ物が下に流れ出てしまうからです。現在は、何とか食べられるようになりました。
そしてどうにもならないのが、生野菜です。センイは熔けてくれないからです。ですから、野菜は煮野菜中心でしたが、その後家内が生野菜を機械的に搾る特殊な装置を買って来ました。それで我が家特製の青汁の野菜ジュースを造って、毎日飲んでいます。
舌がなくて困ることの一つが、食べ物を熱いうちに食べられないことです。本当は、香りがあるうちに食べたいのですが、口の中で食べ物をこね回すことが出来ないため、熱いものを口の中に入れられません。
また初め温かくても、2時間も掛けて食べていると、みな冷たくなってしまいます。さらに2時間も3時間も口を動かしていると、舌根やその周囲の筋肉が非常に疲れます。
今は出来るだけ食事時間を短縮するために、ご飯は汁物をかけて、スルスルと食べています。退院直後に比べると、現在はかなり味を感じるようになって来たし、食事も楽になって来ました。でも、私にとっては毎回の食事は苦痛なだけで、身体のためにやむなく食べているだけです。
栄養のバランスは、ビタミン剤や栄養剤で補っています。
私は皆さんに、流動食から固形食に早く切り替えることをお勧めします。理由は、ノド周辺や舌を動かす筋肉の強化になるからです。その事が言葉のリハビリにも役立つのです。たとえば私は「マ・ミ・ム・メ・モ」をどうしてもうまく発音出来ませんでした。これらは、唇を閉じて開くことで言葉が作られます。しかし、手術で下唇を切断したために、その周りの筋肉が硬くなっていました。それで、うまく発音出来なかったのです。
それで言語聴覚士のA先生から口の周りの筋肉(口輪筋)を鍛える道具をもらい、2ヶ月ほど強化訓練をしました。そうしたら「マ・ミ・ム・メ・モ」がしゃべりやすくなりました。私の実感としては、固形物を食べることが舌の周囲の筋肉の訓練になったと感じています。(「口腔咽頭がん患者会」提供)
事前に自分の言葉に障害があることを告げるようにしました…
舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で3か月半入院。退院後半年くらいまでは、自分の言葉が通用しない場面によく遭遇しました。
初めてJRの窓口で「禁煙席にしてください」と言ったとき、窓口の人に通じず、結局メモを出されて「字で書いてくれ」と言われました。「キんえんせキ」の「キ」が聴き取れなかったのです。
また或る病院の会計窓口で、自分の名前を「ミキ」と告げるのですが、それが通じず「診察券を見せてください」と言われ、それを出すと「ああ、M.Yさんですね」と言われたときもショックでした。
量販店に電気製品を買いに行くのですが、店員に言葉が通じないことが時々あり、困りました。それで、その後は事前に自分の言葉に障害があることを告げるようにしました。そうすると、よく通じることを発見しました。
それと、苦手な言葉を避けて、出来るだけ別な言い方をするように心掛けています。しかし自分の名前や地名は言い換えが出来ないので、大変苦労しています。銀行や病院などに電話をするとき、必ず自分の名前を告げる必要がありますが、現在でも思うように通用しないので、困っています。「ミ」も「キ」も私には苦手な「音」なのです。(「口腔咽頭がん患者会」提供)
「構音機能回復訓練プログラム」と称するものを作って…
舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で入院中、私は、不安から、将来を悲観的に考えていました。
しかし退院が近くなった或る日、私は当時の耳鼻科の看護師長さんに「自分の老後が暗くなってしまった」という話をしました。その看護師長さんが、ここにおられるMさんですが、Mさんは「今に元気になりますよ」と、私を励ましてくれました。その話を聞いて、私は一念発起して、Mさんに或る約束をしました。
「この1年間リハビリに全力を挙げて頑張ってみます。1年後ここでおしゃべりしてみます。」という約束をしました。それでだめなら、諦めようと決心しました。
その後、時々自分の情況をMさんに書き送りました。それが「舌切除患者からの便り」というものです。これは今でも、耳鼻科の病棟の本棚に、黒いファイルに綴じて置いてあると思います。最後の頁には、手術後1年を経過した時点での結果を要約してあります。
その約束を実現するために、まず始めたのは、毎晩単語の発音訓練することでした。これが、その単語表です。よく使ったので、よれよれになっています。
最後には、これを整理して「構音機能回復訓練プログラム」と称するものを作って、トレーニングをしました。構音というのは、しゃべることです。現在は、この改訂版を言語聴覚士のA先生が作っておられます。
退院してからは、先ほど申し上げたように、腹話術が役に立つかもしれないというので、腹話術の関係をインターネットで探しました。そして日本腹話術師協会というのがあることをつきとめ、その通信欄に「舌癌患者を指導してくれる人が居ないか」と呼びかけました。そうしたら、日本腹話術協会の理事の方がそれを見て、大阪に在住のプロの腹話術師を教えてくれました。
その人は、川上じゅんという方で、自宅に寄ってもらい話しを聞きました。腹話術そのものは、リハビリに何の役にも立たないことが分かったのですが、そのとき川上じゅんさんが腹話術の訓練書の中から、音声の発生理論の書かれた部分をコピーして、渡してくれました。それが、私が「音声学」に出会った最初でした。
その後、音声の発生理論と言語障害の専門書を梅田の紀伊国屋書店で何度も探し回り、見つけ次第購入し、夢中で勉強しました。20冊くらいあります。
それから、舌癌による障害を書いた専門書の中に「舌接触補助床」というものが紹介されていました。それを口の中に装着すると、発音が良くなるというのです。写真で見ると、総入れ歯のようなものなので、近所の歯医者のところに持って行き、それを作ってくれないかと相談しました。しかし「経験がないので、自分のところでは作れない。大学に行って聞いて来ます。」と断られてしまいました。その後、その歯医者さんの友人で、O歯科大学の口腔外科の講師をしているという先生を呼んでくれて、特別に診察してもらいました。
その先生は「あなたの舌は大きく切られているので、そうしたものを入れても役に立ちませんよ」と言われてしまいました。私は、その言葉に絶望的なものを感じました。
それでも諦め切れずに、インターネットで探し続けました。そのうちに大阪大学の歯学部に顎口腔機能治療部というのがあり、そこで言葉の矯正をやっているということが分かりました。
早速、そこの大学教授にメールを出しました。その結果、外来医長をしている先生を紹介してくれました。そこで作ってもらったものが、この「舌接触補助床」です。これは、試行錯誤で形状を決めます。私の場合は7回目でやっと満足なものが得られました。
この入れ歯は、言葉の矯正だけでなく、食べることにも大変役に立っています。
舌は食べ物を混ぜながら、咀嚼してない部分だけを奥歯の上に載せることをやっています。ところが舌がないと、それが思うように出来ません。当時私の舌は最大でも7mmしか伸びません。この入れ歯がないと、舌のない所に落ち込んだ食べ物を奥歯に運ぶことが出来ません。この入れ歯のお陰で、それを防ぐことが出来ます。それでも食事の度に顔を傾けたり、箸で補助したりして、苦労しています。だから、今でも1回の食事に2~3時間かかっています。
それから退院後は毎晩夜11時ごろに散歩に出て、しゃべる訓練をしました。
うまくしゃべれない単語を出来るだけ大きな声でしゃべるのです。それを他人が聞いたら、変に思われるので、人気のなくなる夜中に練習したのです。つい先日までやり続けていました。(「口腔咽頭がん患者会」提供)