今から5年半前に舌癌のために、舌の3分の2と首の両側のリンパ節をすべて切除しました。いわゆる舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術との両方を受けました。約11時間の手術でした。舌については、太ももから採った皮弁で再建しております。奥歯は上下ともありません。
皆さんも、手術後の痛みがどれほどのものかは経験済みですが、私の場合も手術後の1週間は地獄の日々でした。この1週間は、ただただ激痛をこらえる事、痛みに耐える事、それしか考えていませんでした。それが1日の時間のすべてでした。生活のすべてでした。胸から頭のてっぺんまで、猛烈に腫れあがって、その痛みと頭痛に苦しみました。
毎日看護師さんが顔を拭くようにと熱いタオルを差し入れてくれるのですが、痛くて顔を拭くことすら出来ませんでした。それができるようになったのは、手術後1ヶ月経ってからのことでした。
当時は38度以上の熱で灼熱地獄にでも居るような苦しさで、全身汗でびっしょりでした。それで顔をウチワであおいでもらったら、髪の毛がかすかに動くだけで、痛くて耐えられないほどでした。
舌は2~3倍に腫れ上がり、3分の1しかないのに、口からあふれんばかりでした。鼻に差した管が動いたときの脳に走る痛烈な激痛や、またノドのカニューレのせいで、年中セキが止まらず、その都度胸に熱い激痛が走ったことを今でも忘れることが出来ません。
いつも高熱と頭痛にうなされていて、よく幻覚を見ました。目をつぶると、周りにいる人の声は聞こえるのですが、奇妙なことに天井からスルスルとカーテンが降りて来たり、自分がゴミの山の中で寝ていたり、天井が砂漠に変わって、そこに砂嵐が吹いているのです。自分がそんな妙な環境に居ることを不思議とも思わず、それが現実の世界だと信じていました。今考えると、明らかに幻覚でした。(「口腔咽頭がん患者会」提供)
高熱と頭痛にうなされていて、よく幻覚を見ました。…
手術というのは治療の前半に過ぎず、後半がある…
舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で3か月半入院。入院中に或る看護師さんの言葉で、一番印象に残った事をご紹介しておきます。
まだ流動食を摂っていた頃の話です。流動食なので歯を使うこともないので、毎日の歯磨きを省略していました。すると或る日のこと、その看護師さんが私に「M.Yさん、歯磨きをしていますか?」と言うのです。それで「流動食なので、止めています」と答えました。すると彼女が「歯磨きもそうですが、普段口を動かして来たことがリハビリになるのですよ」と諭すように言うのです。この一言は強烈なインパクトがありました。私は、そのときハッとしました。リハビリというのは、特別の訓練をすることではなく、健康な頃やっていたのと同じことをやることなのだ、と悟りました。
以来、言葉だけでなく食べる事も身体の筋肉強化もすべて、健康な時代と同じようにすることが基本なのだと考え、そのように努力しています。私にとっては毎日の生活がリハビリそのものです。
入院中の患者さんには、「決して失望しないでください。私のような事例もありますから・・」と申し上げたいと思います。
しかしそうは言っても、私の患者会に登録された人34人のうち、すでに15名の方が亡くなられています。決して情況は明るいわけではありません。私は、今なお生き残れている自分は運が良かったのだと思っています。
しかし当時のM看護師長さんとの約束がなければ、ここまで頑張ったかどうか分かりません。また看護師さん達からの情報や叱咤がなければ、努力する気も起きなかっただろうと思います。
当時、患者会がなかったので、他人の話を聞くことも出来ませんでした。
しかし現在は、患者会に出席することで勇気づけられる事もあるでしょうし、役立つ情報があるかも知れません。夫々の方が多くの他人から情報を得て、自分なりの工夫をされることを願っています。
私は退院するときに、生意気にもM看護師長さんに「手術というのは治療の前半に過ぎず、後半がある。それは<ベッド・サイド・ケア>だけでなく<機能回復への手引き(働きかけ)>までのファイナル・ナーシングである。」と書き置きしました。
入院中は看護師さん達のケアを受けても、退院後の「自分のケア」は、患者同士の相互扶助と自助努力でやるべきものだと思っています。
入院当時を振り返る度に、いつも家族がよく支えてくれたことを思い出します。そうした家族を持てたことに「幸せ」を感じています。
そして、病院の方々に対する感謝の気持ちも忘れたことがありません。(「口腔咽頭がん患者会」提供)
ショックだったのは、ベッドから降りられなかったこと…
舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で3か月半入院。私は入院の後半には、自分の身体が余りにも自由に動かないので、一生懸命にリハビリ体操をやりました。
ところが、自宅に帰ってショックだったのは、翌朝自分のベッドから降りようとして、降りられなかったことでした。身体を横向きにして身体を起こそうとしても起き上がれないのです。悪戦苦闘の末やっと降りられたという有様でした。よく考えたら、病院のベッドは電動で身体を起こしてくれる上に、手すりがあるのです。それでベッドを降りられたのです。我が家のベッドは、そんな便利になっていないので、降りられなかったのです。一番の原因は、腹筋も背筋も全く萎えてしまったことにある、と悟りました。
それで退院後は、毎晩散歩を欠かさず、しかも散歩中は声を出して言葉の訓練を必死でやりました。当初は、こうした訓練も楽ではありませんでしたが、いつの間にか慣れて来ました。
現在は、毎朝ベッドの上でストレッチ体操と腹筋体操をやっていますが、それと同時に入浴時の首や胸のマッサージをやっています。少しでも首の周りの違和感を和らげるためです。
私は入院する前には、ゴルフをやっていてハンディキャップは11でした。退院したら何とか再開したいと思い、練習場に通いました。当初は一番短いクラブを振っても1球打つ度に、首から肩に掛けて、ツキーンと痛みが走り、ボールを20ヤード飛ばすのがやっとでした。
でも1年もすると、ボールを飛ばせるようになり、ゴルフ場に行きプレーしました。しかし他のプレーヤーに言葉が通じないとか、食事の時間が短過ぎるといった色々な問題があって、とうとう一番の趣味だったゴルフを諦めざるを得ませんでした。
これらの体験から、しゃべる事、食べる事、歩く事など、一見お互いに無関係に見える筋肉ですが、実はすべてが連動していて、それらすべてがリハビリに繋がっていると感じています。(「口腔咽頭がん患者会」提供)
食べやすいのは、ご飯でした。噛むと粘りが出るから…
舌亜全摘出手術とリンパ節の郭清手術で3か月半入院。退院直後は、もっぱら流動食でした。家内は各種のフードプロセッサーやミキサーなどを購入し、とても大変だったようです。しかし流動食というのは、まずいのです。
あるとき、赤ん坊用のビスケットを食べたら、固形でも食べられたのです。それをキッカケに、固形のまま食べることに挑戦しました。実は、固形食の方がおいしいのです。
元々舌がないので、味覚は無いようなものですが、ある程度は分かります。ただ、味をすぐに感じることが出来なくて、飲み込んだ後で味覚を感じます。その後分かったことですが、実は匂いも味覚に関係することが分かりました。ですから、お刺身のトロを食べても、こんにゃくと同じで、味がしません。しかし温かい天ぷらは味がします。油の香りが味を思い起こさせるようです。
一番食べやすいのは、ご飯でした。噛むと粘りが出るからです。それで飲み込み易くなります。
しかし、肉などは中々粘りが出ないので、苦労します。
骨のある魚も食べられません。どんなに小骨を取り除いたつもりでも、必ず残っています。困ったことに、舌がないと小骨があっても、口の中ではその感触がありません。ノドに刺さりそうになったことが何度もあり、もう食べるのを止めました。
以前は、ソバやうどんが食べられませんでした。下を向いて口を開けると、口の中の食べ物が下に流れ出てしまうからです。現在は、何とか食べられるようになりました。
そしてどうにもならないのが、生野菜です。センイは熔けてくれないからです。ですから、野菜は煮野菜中心でしたが、その後家内が生野菜を機械的に搾る特殊な装置を買って来ました。それで我が家特製の青汁の野菜ジュースを造って、毎日飲んでいます。
舌がなくて困ることの一つが、食べ物を熱いうちに食べられないことです。本当は、香りがあるうちに食べたいのですが、口の中で食べ物をこね回すことが出来ないため、熱いものを口の中に入れられません。
また初め温かくても、2時間も掛けて食べていると、みな冷たくなってしまいます。さらに2時間も3時間も口を動かしていると、舌根やその周囲の筋肉が非常に疲れます。
今は出来るだけ食事時間を短縮するために、ご飯は汁物をかけて、スルスルと食べています。退院直後に比べると、現在はかなり味を感じるようになって来たし、食事も楽になって来ました。でも、私にとっては毎回の食事は苦痛なだけで、身体のためにやむなく食べているだけです。
栄養のバランスは、ビタミン剤や栄養剤で補っています。
私は皆さんに、流動食から固形食に早く切り替えることをお勧めします。理由は、ノド周辺や舌を動かす筋肉の強化になるからです。その事が言葉のリハビリにも役立つのです。たとえば私は「マ・ミ・ム・メ・モ」をどうしてもうまく発音出来ませんでした。これらは、唇を閉じて開くことで言葉が作られます。しかし、手術で下唇を切断したために、その周りの筋肉が硬くなっていました。それで、うまく発音出来なかったのです。
それで言語聴覚士のA先生から口の周りの筋肉(口輪筋)を鍛える道具をもらい、2ヶ月ほど強化訓練をしました。そうしたら「マ・ミ・ム・メ・モ」がしゃべりやすくなりました。私の実感としては、固形物を食べることが舌の周囲の筋肉の訓練になったと感じています。(「口腔咽頭がん患者会」提供)
出張デイホスピスが希望をつないでくれた〜原村光一さん〜
6年前に甲状腺がんと宣告された、原村光一さん(64歳)は、寄る辺無き人生に絶望していたが、福岡県行橋市のクリニックが開くデイホスピスに行き何十年ぶりかにギターを弾く事を始めた。人との繋がりは生きる希望になり、感謝の気持ちとともに死ぬ事の恐怖さえ遠ざけてくれる。原村さんのドキュメント。
