みんなに知って貰う
病を知らせた理由は、がんは私一人の手に負えない病気と実感したので、家族、職場、友人に手術前に連絡をしました。副作用も気になる治療なので知らせて良かったです。
職場は私の話を全面的に受け止めて下さり、希望も聞いて下さいました。理解があるというより、そんなケースがないから受け入れて下さった印象です。職場の会員の皆様のがん経験者の方がお声をかけて下さり、嬉しい反面、隠れたサバイバーが多いと痛感しました。
●支えてくれたもの:
友人と看護師さん
●希望ややりたい事:
患者みんなでウォーキング大会(ジョギングでも車椅子も杖でも!)
●幸せを感じる瞬間:
スロージョギングやウォーキング後のシャワーが、サッパリして最高です!より体が動き嬉しくなるからです。
●生活する上での知恵:
アームカバーです。
薬物療法で内服しているカペシタビンという薬は、色素沈着で手足や全身の皮膚や爪が黒ずんできます。日焼けするとさらに黒ずみ、皮膚の修復が追いつかず炎症を起こしやすくなり、火傷のようになるかも、と主治医に言われています。アームカバーはスーパーやコンビニなどの冷房からの刺激を防いでくれますす、日焼けからの保護もしてくれます。
オキサリプラチンという薬は冷感刺激により手足、目、口などに末梢神経症状が出ます。状態によっては気管狭窄(絞扼感?)も起こります。
あとは薬物点滴後の、血管痛のある腕を保護する目的もあります。点滴後は触るだけで痛むので。
冬は長袖で、夏はアームカバーで乗り切ろうと考えています。
●あったらいいなと思う事:
高額医療認定を受けている方も、期限付きでいいので障害者手帳をお持ちの方のように、交通機関や施設割引があって欲しい。
要介護でなくてもデイケアや居宅ヘルパー等の利用が出来れば安心な気がします。
デイケアや居宅支援等は、子育て中の患者の方や調子の悪い方々が体を休めたり、時には鍛えたり、スタッフに相談して新たな支援につなげたりしやすいのではないかと思いました。
障害のある方は相談員さん支援員さんに相談できる立場ですので、困り事を早めに対処しやすいですが、患者の方々は…。仕事をしていれば尚更時間に追われてしまうと思っています。
医療や福祉、税金など自分で情報を取りにいかないといけないので、使える支援制度も教えて下さればありがたいですね。
●皆さんに伝えたい事:
積極的な気持ちで共に治療して、共に歩んで、同じ時代を一緒に生きていきたいと考えています。
● 家族に伝えたい事は
家族がいるから私の人生は豊かになっていますので、お礼を言いたいです。
あと、自分は運がいいと信じています。
がんと患者と社会のかかわりがもっと多様に、身近になる事を願ってやみません。
S・Hさん 水泳教室インストラクター 女性 その②
痺れを乗り越え
症状は、足の感覚(痛覚)鈍麻、腫れた感じで歩くと刺激になり室内どこでもでもスリッパ、プールの硬い床が痛くなってきたのがきっかけです。
主治医に他の薬を試したいと聞きましたら芍薬甘草湯を教えてもらい、処方をお願いした次第です。
飲み始めで数日、「あれ?あまりプール床が気にならない…だったらジョギングも再開してみよう!」とオネオネ(ランニングシューズ)をポチり購入しました。
まだまだ脚は上がりませんが、改善は実感できていますし、水泳インストラクターを再開しようという気になれました。
主治医の痺れがあっても運動オッケーの言葉も後押しをしてくれました。
薬は自分らしい趣味や仕事の助けになってくれますね。漢方は眠気が襲って来ないと思っているので、運転や仕事にも支障がありません。
S・Hさん 水泳教室インストラクター 女性 その①
がんになったことは、私の試練と使命
がんになったことは、私の試練と使命かなと思う。
10年前に子宮頸がんになり、全摘出手術後に辛い抗がん剤治療、4年前にくも膜下出血。その後に脳梗塞。3年前にがんが見つかりました。
がんの手術後は放射線治療し、今は定期的に検査をしながらホルモン剤を飲んでいます。
検査の度に”再発”という文字・言葉がいつも頭の中によぎって不安から離れることはずっとありません。
がんという病気と仲良くすることは、本当に大変ですが一日一日を少しづつ、少しづつ前に向かって。
がんと喧嘩をしても仕方がないので、仲良くしていこうと今は考えられるようになりました。
現在、私のがんになって体験したことを周りの方々に理解していただくために、皆さんにお話をしていこうと思っています。
それが私ががんになった事の使命かなと思っています。
M・Sさん(70) 女性
海外でがん治療を受けました
海外でがん治療を受けました。がんは、どこにでもある「普通の病気」。周りの人たちは、病気にはなったけど「私」は「私」として接してくれました。
日本に帰ったら、がんは死に至る「特別な病気」。がんの人、がんではない人の間には壁があってこちら側とあちら側に分断されている感じがしました。
ある時、鬱で休職した友人が、私ががんであることを知らずに、「でもさ、”がん”よりましだよね」と私に言った時、絶望感に打ちのめされました。
2人に1人ががんにかかる時代と言われ、法改正や医学の進歩のスピードが増す中で、人々の意識はなかなか追いついていません。でも10年前よりは少しずつですが良くなっていると思います。
治療を終えて10年以上経ちました。私もがんになったことをオープンにすることができるようになり、がんになってもならなくても「私」が「私」でいられる環境作りを仲間と少しずつですが始めています。
支えに成ったこと・がんになって得たもの
■病名「上顎洞腫瘍」
■一番苦しかった時
「抗がん剤治療・投与中」
第一回の手術は口中から切除して病巣の生検を行い、悪性腫瘍が判明しました。術後、右耳前の動脈から自動注射器で抗がん剤を投与しましたが、あまりの耐えがたい苦痛のため一ヶ月持たないで抗がん剤治療を断念。放射線治療は続けました。
この頃、嘔吐がひどく食事も出来ず、病室から見える病院の屋上からジャンプして苦しみから逃れたかった。
その時、枕元に置かれていた「家族の写真」が私を救ってくれました。涙が溢れてきて、頑張らなければと毎日心に語りかけてきました。家族の支えのおかげで、苦しみから少し解放されました。
1回目の手術の後は毎日、口中の切開した傷口からガーゼ交換を行い、痛み止めはモルヒネを服薬していました。
1回目の手術から一ヶ月後、顔面から切開してがん病巣を全摘する手術を行いました。
今は「右側頬骨」はありません。
入院から6ヶ月後に退院しました。その時初めて、病院の敷地を妻と散歩をしました。それまで働きずめだったので、夫婦での散歩は経験したことが無かった事に気がつきました。
■「がん」に成って得た物
家族の深い愛情と支えてくれた人々の友情。それから、今はない患者会「えがおの会」の仲間との出会いと絆でした。
「生きているとステキな出会いがあります」
乳がんの手術をしてから5年。ホルモン剤治療も終わり、寛解しました。
当時は患者会などで思いを吐き出すことで救われました。語る場は大事だなと思い、これからは、少人数でで集いが出来たらと思っています。
乳がんを体験してよかったとは言えませんが、体験したからこそ「生きる」ことを考え、たくさんのステキな出会いに恵まれました。
60代女性 乳がん体験者 チューリップさんより
手術に耐えても生活の不安が
気がつけば80歳を超え、尿道がんの宣告を受けた。充分に生きたという思いと共に、もう少し家族と一緒にいたいという思いに揺れる。大規模な手術では、その後の回復は相当なハードルだろうと思われる。寝たきりになってしまうのか?家族の介護負担は?自分で決められる事って少ない!相談するとしたらどこなのだろうか?高齢者のためのガン相談などがあれば良いのにと思う。
ソーシャルメディアのマンガで知った「がん」
ある日、なにげなく読み始めたスマホのマンガ、途中でやめられなくなって最後まで読破!
その2ヶ月後に、自分ががんという診断を受けるとは思いもよりませんでした。
しかし、何故かそのマンガに描かれていたことが、あまりにもリアルに蘇って、医師からの告知もがん治療も戸惑いや混乱も少なく、比較的冷静に受け止められました。
事前の情報、知識が大切だと思います。
M・Kさん (35)
(「いきるを包む」2020年9月号に体験談が掲載されます。)