1コース終了後の休薬期間(2008年10月後半)

面会時間が終了して、妻を見送るのが辛かった。明日の朝まで、不安の中で過ごす。
長い夜。毎晩夢を見た。その夢の内容は、ピアノの演奏会のステージに居る夢、レコーディングをするという夢、毎日のようにピアノの夢を見た。必ず、ステージに立っていて、弾かなければいけないのだが、弾ける曲が思い出せず、弾く直前に目が覚めるというものだった。あまり良い夢ではないが、退院したら、ピアノを弾くぞ~という意識が確かになった。

頭痛は続いており、脳の腫瘍が大きくなっているのでは、という不安が大きかった。
医師に頭痛を訴えても、鎮痛剤を処方されるだけで、脳の検査をしてほしかったが、それは4コース終了時ということに決まっており、MRI検査は、脳外科と異なり非常に少なかった。さらに言うと、血液内科の場合には、医師が読影できないため、放射線科の医師に読影を依頼して結果が知らされる。と言った難儀な状況では、簡単にMRI検査をすることが許されず、4コースが終了した後で効果の確認をするということになった。
髪の毛が抜けまくり、怖かった。結局全部剃髪してしまった。思いがけず、気持ちが良かった。

食欲は、日と時間によって異なった。病院食を完食することもあれば、食欲がなく、食べられないこともあった。とにかく、24時間点滴があり、トイレも欠かさず行かなければならず、睡眠不足が続いていた。2コース開始までは治療はしなくて良いので、退院しても良いのだが、白血球の値が低く、院外で感染したら困るという理由で、病院で引き続き2コース目の治療が始まった。

この時期、頭痛が続き不安でいっぱいだった夫の強いリクエストにより、脳外科の診察を受けられることになりました。
喜んで脳外科に行くと、それまで担当してくださっていた医師ではなく、外来の当番医の医師の診察で、カルテを見ながら「腫瘍は手術で全部とりましたからね…。大丈夫ですよ」と言われ、あっという間に診察終了。

夫の腫瘍は手術で取っても仕方ないタイプで、手術で取ったのは生検に必要な分だけ、残りは抗がん剤で叩いているという状況だったので、この医師のコメントには驚きと落胆の気持ちでいっぱいになりました。大きな大学病院だと、こんなに不安を抱えていても、手術に関わってくださった先生の診察を受けることもできず、患者の病名も病状も理解していない医師のとんちんかんなコメント(失礼)しか聞くことができないんだ、と本当にがっかり。夫の不安は更に大きくなるばかりでした。

後々分かったことですが、この頃すでに高次脳機能障害の諸症状があっても、それが手術や腫瘍の後遺症とは分からなかったため、夫は自分がこのまま何もかもできなくなってしまうんじゃないか、という不安も抱えてひたすら落ち込んでいました。頭痛が続き腫瘍が大きくなっているんじゃないかという不安、高次脳機能障害ということも知らなかったので機能がどんどん失われるのではないかという不安。不安に押しつぶされそうな毎日だったようです。
10月末、リエゾンチームの先生が訪問して下さり、溜まっていた不安を聞いてもらえ、継続的にフォローしてもらえることになりました。

同じ頃、血液内科の医師から再度MRIの説明を受けることができ、腫瘍が5分の1に縮小していること、脳のむくみも取れてきていることを時間をかけて説明していただいたことで少し落ち着いたようでした。

入院してから誰とも会いたがらなかったのですが、少し落ち着いたので、会社の上司が面会に来てくださいました。「会社のことは心配せずゆっくり休んでください」と言っていただき、夫はもちろん私もとてもホッとしたのを覚えています。人事の方まで来て下さり、休職中のお給料のこと、傷病手当金のことなども詳しく説明してくださったので、ひとまず経済的な心配もなくなりました。働き盛りで急に倒れ、何もかもが暗いトンネルの中で手探りな状態の私たちに少しずつ光がさしてきた気がしました。