網膜芽細胞腫(網膜の発生する悪性腫瘍)を罹患。
マッサージ師をしています。
利用者の方から「ここを治して、あっちも治して」と要求されます。
じゃあ全て完璧に治ったら何がしたいですか?
と問いながらマッサージをしています。マッサージでは治せません。いっときの気休めですから。
治らないものは治らないんです。
がんと生きる“わたし”にとって暮らしやすい社会とは何か? 多くの声を集め、つながり合い、語り合い、そして社会へ問いかけます
網膜芽細胞腫(網膜の発生する悪性腫瘍)を罹患。
マッサージ師をしています。
利用者の方から「ここを治して、あっちも治して」と要求されます。
じゃあ全て完璧に治ったら何がしたいですか?
と問いながらマッサージをしています。マッサージでは治せません。いっときの気休めですから。
治らないものは治らないんです。
結婚して子どもを生むときに、たまたま夫と私が同じ先生が主治医だったので、「結婚しま す」って言ったんですね。そしたら「子どもは産まないよね?」って言われたんで「どうしてですか?」って言っ たら「遺伝性の病気だからね、知らなかった?」「そんなの聞いてません」「お母さん言わなかったの?」って、やり取りがあって。
知らなかった、教えてくれなかった、「自分ってなんなんだろう」って少しショックがあった。まぁいいや、結婚はできるみたいだしと思ったんですけど、夫の方も農家の長男なんですね。「子どもは生 まないの?」とか言われたりして「そうなんだけど…」遺伝性の病気だっていうのはなかなか言えなかったんです。
がんセンターとかに行くと、「子どもが同じ病気になっても治療できるんだよ、今は」って教えてく れた。「私も子ども二人産んだよ」って言う人もいたり。「せっかく結婚したんだし子ども一人くらい産んだら?」って言われて、私も35歳くらいになってきたので割り切って子ども産んだんですけど。やっぱりっていうように、子どもも同じ病気になった。
遺伝性の病気だっていうことを知っている母には、私に子どもが出来たことを5ヶ月くらい黙っていたんです よ。実は、子どもを生むことにしました。って言ったらあっさり「良かったね」って言ってくれたんです。同じ病気 が見つかって「ほら見たことか」って言われるのかなって思ったんですけど、割とみんなが協力してくれました。