パラメディカ Pick Up! 闘病記 〜肺がん
肺がん闘病記をご紹介します。
わが涙よ わが歌となれ
- 肺がん
- 告知
- クリスチャン
- マルティン・ルター
この闘病記は、原崎百子さんの病床日記に、夫である清さんが時々の状況について、精一杯の寄り添う心情を吐露する様に書いたものが補足的に編集されたものである。
短評
『一九七八年六月二八日(水)、今日は私の長くない生涯にとって画期的な日となった。(中略)今日をそのような日にしてくれた清に、その勇気と決断と愛とに、どんなに感謝していることか!』
夫である清さんは教会の牧師、百子さんは牧師の妻として17年間を全力を尽くして労し働いてきた。
この病床日記がこの日から始まるのは、この日、それまで告げることを躊躇っていた清さんは、百子さんが入院先から家に戻り子供達とはしゃいでいる姿を見て、告げるのは今だと確信し、翌朝、子供達が学校に行った留守の時間に肺がんであること、さほど時間が残されていないことを告げたその日であった。
そして、その日、百子さんは清さんに日記帳を二冊買ってきて欲しいと告げるのであった。一冊は夫、清さんにそしてもう一冊は子供達に。子供達への一冊を知ったのは死の5日前であった。
『それは、清の愛であると共に、私への信頼と誠実とであって、私は清に一人のキリストを信ずる女性としてこのように信頼されたことを誇らしくさえ思っている。
それは、単に私への信頼といったものではないことはもちろんであって、私たちが共に望みを置いているキリスト・イエスへのゆるがぬ信頼に基づいている。
私の生涯はこれからが本番なのだ。これまでの一切は、これからの日々のためのよい準備でもあった。それでもやはり私はリンゴの樹を植える。
私たち夫婦が今日ほど共に生きていたことはない。(中略)清の愛ゆえの苦悩において、主が清と共にあってこの決断へと力を貸してくださったに違いない。そして、同じ主がそれを聞く私に力を賜らないはずがあろうか。主は讃むべきかな!』
作家、柳田邦男が「がん50人の勇気」を書いたその冒頭の一章が、この闘病記であることを付記しておくことにする。
2021年7月 読了 Y
僕は、死なない。
- 肺がん(肺腺がん)
- ステージ4
2016年9月突然の肺がんステージⅣの宣告を受けた著者の肺がん闘病記。帯には「僕のがんは、なぜたった20日間で消えたのか?」とあり、がん患者にとってはとても興味深い著書。第一部と第二部で構成されており、第一部は闘病記録を第二部では著者の考えるがんについての諸々のことが書かれている。
短評
第一部において、告知を受けた病院とコミュニケーションの相違もあり結果的には自分で代替医療を選択する結果となってしまう。がんの増殖を加速させる治療を続け、全身へのがん転移をまねいてしまったことは残念でならない。運よく東京大学病院を紹介してもらえ標準治療を受けることが出来たことは著者の言うところの「ひきよせ効果」ではないかと思われる。
現在(2011年)だと肺腺がんの場合、バイオマーカーを調べEGFR、ALK、ROS-1等の遺伝子変異を調べその遺伝子に合った分子標的薬を使うようになっていて、使える分子標的薬の種類も随分多くなっており医療は格段と進歩している。
最初に読んだ時、代替治療を勧めているのではないかと思わせられるくらい遠回りな治療をしていることを延々読まされている感覚になり途中で投げ出したくなったが、この著者は一体何が言いたいのかを考えながらもう一度読んでみた。
最初の大学病院の医師は、誠実であるがために「治らない」と断言した。コミュニケーションの不調和は問題ではあるが、現在の癌治療において大切なことはガイドラインに則った病院における治療が最適であり、患者は気持ちの持ち方が大切なことと言っていることに気づかされる。
著者が何を伝えたいのかを思いながら熟読すると、決して代替治療を勧めているのではなく自分にとって必要な考え方を取り入れることが大切と言っていることに気付かされる。
2021年5月 読了
がん治療において必要な考え方は何か?
肺がん患者会 ライオンハート岡山 田中勇さん
「二本の木」〜夫婦がん日記〜
- 肺がん(妻)
- 小細胞肺がん(夫)
- 胃がん(夫)
妻の死後、7ヶ月余りで夫も他界する。夫婦の会話・メール・日記を夫が纏めたものが NHKの特集番組になる。その番組を製作した仲間たち、遺族である息子たちが綴ったもので編纂された一冊。帯「言葉にこめた最良の最期=互いを思いやり、それを言葉にのせて伝えあった二人。がんと闘いながら、同じものを見つめ続けることの素晴らしさを綴った、ある夫婦の記録」
短評
文中、夫、爽さんは「できるかぎり長く一緒に生きたいと願う私たちにとって、この神話は甘味だった」とある。それは、妻が語る一つのギリシャ神話だった。
『ゼウスが貧しい身なりで訪れた老夫婦の家で誠意のあるもてなしを受ける。そのお礼にゼウスは二人の願いを叶えようというと、老夫婦は「老いたので、もうあまり望みはあり ません。しかし、どちらかが一人残されることには耐え難い思いがします。できることなら、手を携えてあの世に行ければ、こんなうれしいことはありません。」と言い、気がつくと並んで立っている二人は足元から次第に木に変わっていって、いつしかそこには二本のオリーブの木が立っていた』という物語でした。
表紙の画は、独身時代より油絵を道展などに発表していた、妻千緒さんが描いた「寄り添う二本の木」F20 2001。
2021年5月30日 読了 スタッフY
キラキラ峠
- 肺腺癌
本書は文芸社が主催したコンテスト「闘病記III〜命のエール〜」長編・総合部門の大賞作品を書籍化したものである。
短評
著者と妻の幼少のことからの話ではじまる。
平成14年7月中旬妻の体調不良から愛犬の散歩はここ数日夫がすることになる。
体調も戻り、病院嫌いもあり再診察が遅れた。結果、肺腺癌4期の末期と診断。
告げられた期間後に再診を受けなかった方に落ち度はあるが、かかりつけ医が「小さな影」を発見した時点で即、精密検査をすべきではなかった」かと疑念が残る。そして一進一退ではなく「病が悪化する」一進しかない妻。
「わたし死ぬの怖くないよ・・・。キラキラ光る・・・透き通った所に行くんやね」そんなわずかな妻との時間、闘病を見守り、支える中、医師への苛立ち、肺癌病とは、終末期医療とは何だろうと問う。夫として綴った闘病記。
2021年5月30日 読了 スタッフY
無我になるを待って
—夫の肺癌闘病 三五七日から学んだことー
- 肺腺癌
- 夫61歳 妻 62歳
短評
経緯は平成16年12月からから始まる。定年退職した夫と旅行など楽しむ生活の中、夫の肺癌が見つかる。
診断されてから夫は治療日誌を書き続け、著者である妻は、病院選び、治療に対しての迷い、医療者への対応、葛藤、夫や自分の気持ちの変化を日記として残していく。カルテを写したかのような細かく書かれた夫が残した闘病記録ノートと妻の日記を併せて、夫婦在り方、生前にすること、医療への思いなど1年半の闘病生活が綴られている。
永別から4年を経て本のおわりに「夫は肺癌の正体やその治療について「知りたい」「見極めたい」という一念で記録し続けたのではないかと。
「この記録には自分と同じように癌と戦う人たちのために役立ってほしい、という思いも乗せられている気がします。」と著者の言葉が記されている。
2021年5月30日 読了 スタッフH
故星野史雄さんの闘病記古書店「パラメディカ」に 遺された7000冊の闘病記は、星野さんの思いを受け継ぎ、私設闘病記図書館パラメディカが伊豆高原に開館しました。原則、毎月第1、第3の金曜、土曜が開館日です。
HOSHINO DBはパラメディカ蔵書のデータベースです。約140冊の肺がん闘病記をHOSHINO DBに掲載しました。