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パラメディカ Pick Up! 闘病記 〜大腸がん

パラメディカ
故星野史雄さんの闘病記古書店「パラメディカ」に 遺された7000冊の闘病記…
ホシノDB
故星野史雄さんの闘病記リストを整理し
順次公開しています

わたしのがんnet スタッフが、大腸がん闘病記をご紹介します。

 がん告知の果てに Xからのプレゼント

はまの鶴子 著
東京図書出版会
2006.4
  • 大腸がん
  • 看護師

貪欲に生きて燃え尽きたいと願うように心が傾いた。そういった意味でがんは死ではなく、いかに貪欲に生きるかという価値観みたいなものを持つようになるきっかけだった。癌だけではない、どんな病気にかかろうと貪欲に生きてこそ人の生命のもつ尊さが生まれるのではなかろうか。

短評

2005年2月、著者はもうすぐ定年を迎える看護師。雇用主が自分を拒否するまでは働き続けること、年金など老後の設計を想定していたそんな時がんを発症する。

がんを「奴」と呼び、その後「X」と名付け、Xを抜かりのない殺害方法で抹消しなければならないという体内の異物と闘うような姿勢で治療を受ける。

Xがくれた時間があるからこそ大切な時間を無意味に過ごすことがつまらないと実感した著者は
1日を100日にしてでも貪欲に生きて燃え尽きたいと願うように心が傾く。

Xを知る前の生きる無意味から、生きることの意味を知ることができたから貪欲に生きてこそ生命の持つ尊さが生まれたのでは。

職場では見慣れた股下の割れた検査着をいざ自分が着てみると羞恥めいた気持ちになったり、元気な時には「お金より病気が先でしょ」と言っていた言葉がこれから自分にのしかかる医療費の負担額に、なんといい加減な言葉だったかと。

看護師から患者立場になって気付いた事、発病から抗がん剤治療最終日までの半年間の闘病記録。

2021年8月30日 読了 スタッフH


走って治すぞ、ガン闘病。

山本悦秀著
徳間書店
2014.1
  • 大腸がん
  • 医者
  • 人口肛門

大学教授60歳、突然のがん宣告。 そして、人工肛門。それでも走る

短評

39歳の時に始めたマラソンが「わが道」と思うほどのめり込んで20年。

2005年59歳の時、ロードレースの成績が目に見えて悪くなり走り終えた後の爽快感がなくなっていく。その年の8月体調不良ながら毎年恒例の家族との海外旅行へ行き、なんとか帰国。

成田空港から羽田空港、そこから小松空港で金沢に戻る予定だったがどうにも動けない。2人の娘たちを東京の大学に通わせるために建てた東京の家へ向かいそれぞれ医師となった娘たちに連絡とり、医師の夫たちも駆けつけてくれて点滴を受ける。

いっときは快方に向かったと感じたが、翌日、嘔吐を繰り返し娘たちの母校である大学病院の救急部で検査を受ける。結果、大腸がんと診断を受けるが重い腰の原因は体調の悪さだけではない。

著者は口腔外科医、金沢大学医学部教授であるた他大学病院で治療、ましてや手術を受けるわけにはいかないという立場上の問題に突き当たり、決死の移動で金沢に戻った時には「これで死んでも悔いはない」と本気で思う。

3度の手術を経験し手術の間にもマラソンを続け、完走したタイムが細かく記録されており
自分の体調を振り返る基準となっているのがランナーらしい。

定年退職を前にしたある日、術後3年経過し、仮設のストーマから本来の1肛門へ戻る4度目の手術を覚悟はできていたが、主治医の所見ではストーマ(人工肛門)が残存している腸管の吻合不全による腹膜炎や敗血症などの問題で吻合が難しいと意外な診断結果だった。生涯ストーマという現実に対応するのは困難な状況でありながら著者は発病から5年間という時間の中でゆっくりと少しずつ受け入れていった。

2012年オストミー協会に入会し、日々の悩み、同じ悩みを持つ者同士、仲間との交流がいかに大切か。

「ストーマやオストメイトという言葉が遠慮なく語られるようになれば当事者は障害や悪しき恥の文化の垣根を超えてもっと生きやすいと感じるようになるはずだ。その意味でもわたしは晒し者になりたいと思う次第だ。」と医療に携わる立場からの言葉とは大きく変化し、患者・オストメイトとしての強い意志が伝わる一冊である。

2021年8月30日 読了 スタッフH


故星野史雄さんの闘病記古書店「パラメディカ」に 遺された7000冊の闘病記は、星野さんの思いを受け継ぎ、私設闘病記図書館パラメディカが伊豆高原に開館しました。原則、毎月第1、第3の金曜、土曜が開館日です。

HOSHINO DBはパラメディカ蔵書のデータベースです。大腸がん闘病記をHOSHINO DBに掲載しました。