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パラメディカ Pick Up! 闘病記 〜乳がん

わたしのがんnet スタッフが、乳がん闘病記をご紹介します。
彼女が乳がんになって考えた/毛のない生活/アメリカでがんと生きる/復活 アナスタシア

パラメディカ
故星野史雄さんの闘病記古書店「パラメディカ」に 遺された7000冊の闘病記…
ホシノDB
故星野史雄さんの闘病記リストを整理し
順次公開しています

彼女が乳がんになって考えた

ブレンダン・ハルピン 
大嶌双恵訳
  ソニーマガジンズ  2003.2
  • 乳がん
  • アメリカ
  • 夫婦

だからぼくは、夫の話だってあっていいんじゃないかってと思った。」

短評

著者は、妻であるカースティンの勧めもあって、妻の乳がんに翻弄される夫のそれも破茶滅茶な暮らし、一人息子との悪戦苦闘な時間を書く事にした。

乳がんは確かに女性のがんの1位、年間9万人以上が罹患しています。この事実と、夫である男性の捉え方、乳がんであるがゆえの女性の苦悩、恐れを理解する事は簡単ではありません。

しかし、著者は妻である患者とともに生きる者として悩み苦しみ全てに向き合い、ある意味有意義な人生を獲得していきます。

実のところ、日本とアメリカとの違いも興味深い。仕事のこと、妻の両親とのこと、もちろん娘のローウエンとの生活、向き合い方がかなり違うのかもしれない。カースティンと喧嘩もする、愛し合いもする。

がんを経験しつつ、当たり前の人生を送ろうとする、実は豊かな時間が描かれて興味は尽きない。

「これから起きることは、いってみれば追記なのだ、ぼくだっておおかたの人と同じ様に明解な結末を望みたいが、医学はまだまだ結論を出せるところまで到達していない。だが、一番肝心な事実がここにあるーカースティンはいまも生きている。ぼくもローウエンも、これを読んでくれているなら、あなたも生きている。

それでじゅうぶんではないか。どうか、今日一日が楽しい一日でありますように。」

2022年1月30日 読了 スタッフY


毛のない生活

山口ミルコ
ミシマ社
2012.2
  • 乳がん
  • 編集者

 大手出版社の編集者として、文芸から芸能まで幅広いジャンルのベストセラーを多数世に送る。その大好きだった仕事をやめてフリーになったその1ヶ月後にがんを宣告された。

短評

明確な理由のないまま何故か絶望し、仕事を辞めた。

「私が叫び出す前に、からだの方が悲鳴を上げた。」

「ずっと、本の仕事をして来た。苦痛をともなう検査や治療の過程を文字に残したいと思った。日記の様なものをつけてみたが、一日のなかで大きく上下する不安定な感情を追うだけで、文字がいっぱいになった。」

 簡潔で無駄のない表現の中に、編集者としての迷いのない文章とともに揺れる心のうちが描かれていく。

「私には何かの使命がある。そうとでも思わなければ、やっていられなかった。」

『「100%脱毛をきたします」と説明を受けていた通り、私のあたまは脱毛をきたした。きたしたくなかったから努力していたのに、と泣いた。抗がん剤を投与して二週間で脱毛は始まり、二週間をかけ髪は全て抜け落ちた。その間は、悲しく、そして頭皮の痛みが続いた。抗がん剤は共倒れ戦法である。いったんあらゆる細胞を打ちのめすが、そのうち悪い細胞は倒れたまま、良い細胞のみ、必ず立ち上がってくる。 それを待つ。』

ページを送るたびに、日記と具体的な入院・治療についての記述が交互に、そしてフォントを変えて現れてくる。そして、そのコラムふうな短い文章の文末が、少しずつ明るくなっていく。自分の状況を客観的に見つめられるとともに、希望が刻まれていく様に。

ページを送ることに期待が込められていく。それは、当然のことながら病床にあって様々な本を読み倒していく中で、本に癒されていたのではないかと思ったりもする。さすがだと。

後段に、中華料理店でのエピソードが書かれている。

仕事を辞し、がんになって。生まれ変わる。

「そして、私は、この時まだ気づいていなかったのだ。絶望は希望を連れてくるということを。」

帯に、「人生最大の苦難を、明日への道しるべに変えた女性。それがミルコさんだ。」小川洋子さんが評している。山口さんのプロフィールに、「クラリネットとサックスを吹き、ジャズ・吹奏楽関連の執筆や演奏活動をしている。」と書かれている。

2021年2月3日 読了 スタッフY


アメリカでがんと生きる

松井真知子
朝日新聞社
2000.3.1
  • 乳がん
  • 学者

あの千葉敦子さんの壮絶な闘病から13年、アメリカの最新がん治療は大きく変わった。アメリカでがん告知を受けた日本人社会学者が、自らがん医療の最新現場を調べ患者を支えるグループにも関わりながら、死と生と新たな出会いについて考える。末期がん患者の体験的リポート。巻末対談:上野千鶴子×近藤誠「日本でがん治療を受けるなら」

短評

まさに、千葉敦子さんの「ニューヨークでがんと生きる」と鏡のような闘病記であり、文化論であり、日本とアメリカとの比較論でもある。千葉さんのニューヨーク・・は日本への檄文として、当時も今も日本人にとっては刺激的で反感さえ持たれるほどの辛辣な文章で溢れている。が、しかし、13年経って松井さんの社会学者として患者としての視点から見ている理想的ながん治療が日本で行われるようになったか?時間差を考えると背筋が寒くなるのは私だけだろうか?

松井さんの研究テーマにジェンダーがあるように、乳がん体験とフェミニズム運動、ジェンダーと連関の中で世界的に乳がんの患者のある意味「人権宣言」の大きなうねりを捉えて見ないと乳がんそのものさえも語れない。まして、短評など書けないと思う。

巻末で上野千鶴子さんが言い放っているように、特権的生活=パートナーの献身さとカバー領域の広さと愛の深さに支えられた時間はアメリカでも日本でも体験することは不可能と思える。

今でこそ、各地にがん患者会、サポートグループが日本でも当たり前ではあるけれど、千葉さんから13年、そしてこの闘病記の出た2000年から20年が経っており、日本の患者会やピアサポートの質的なことに踏み込むと疑問を持たずにいられなくなる。

闘病記ではあるけれど、社会学者はがんを通して見るべきは日本社会の実相であり、確立した自己を求め続けた一人の女性の生きざまとして読むべき比較文化論であったりする。

巻末対談にあるように、医療が政治問題であったり、最高の経済効率を求める業種であることなど患者でなく、医療者でも無い市井の人々に是非読んでほしい一冊だと言える。

2021年2月10日 読了 スタッフY

復活 アナスタシア


川村カオリ
新潮社
2010.1.23
  • 乳がん
  • タレント

こんな思いをする人は少ないほうがいい。だから、全ての人に伝えていきたい。そして、愛すべき家族にもーーー川村カオリ(本文より)

短評

2008年10月1日、すでに4年の闘病を経ていた川村カオリさんは再発、転移を機にファンである皆さんへとブログを通して告白する。その日からのブログをベースに本人の思いを時折差し込みながらの記録であり、同じ轍を踏まないようにというメッセージでもある。

17歳でデビューした、同時代の人にとってはロッカーであり、モデル、女優、DJなど幅広い活躍を知らない人はいないであろう。その彼女が鮮烈なデビューから20年の記念コンサートをやり遂げるに至る「奇跡」を綴った、川村カオリの叫びの集大成となっているように思う。

ロシア人の母と日本人の父と共に日本に移住してきたのは11歳の時、「日本はハーフカーストの国」だからというほどに酷いいじめを受ける。中学に入ると救われると思った矢先に大韓航空機事件が起こり、助けを求める相手のいないどん底に身を潜めざるを得ない状況に遭遇。他者を認めない国。でも、カオリは日本が好き。そんな高校生が厳格な父の目を盗んで行ったコンサート。パンクロック、ロックンロールとかって「おまえにもできるぜ」というメッセージがある。というように自分にもできる!につき動かされるように全力疾走の時代が始まった。

ブログは、おしゃれに澄ましたものなどではなく、その瞬間、瞬間にも全力、真正面向いて思いをまっすぐに表象してロッカーそのもの。ブログは詩のようであり、これって歌詞?と思うものから、自分に向き合った深い語り口であったり、ブログを心待ちにしているファンの思いが伝わってきそうでもある。

2009.3.30のブログ。(147ページ)
最近「検診に行ったよ」というコメントが増えているよね。嬉しい。自分の身体は自分で守っていこ。もしかしたら戦いのレールの上にいるかもしれない。でも生きている。そして一人じゃない。私のように反省組だけにはならぬよう検診に行った方々を尊敬します。

ブログは舞台での呼びかけ。
川村カオリはいつだってロッカーさ。
洗礼名アナスタシアは「復活」を意味するのだそう。
闘病記?ではなく、手に取って叫びを共有して欲しい一冊です。

2021年2月12日 読了 スタッフY

故星野史雄さんの闘病記古書店「パラメディカ」に 遺された7000冊の闘病記は、星野さんの思いを受け継ぎ、私設闘病記図書館パラメディカが伊豆高原に開館しました。原則、毎月第1、第3の金曜、土曜が開館日です。

HOSHINO DBはパラメディカ蔵書のデータベースです。約256冊の乳がん闘病記をHOSHINO DBに掲載しました。