がん一万人の声60代 男性, がん治療、大切なこと, 中咽頭がん

2年前に末期といわれるステージIVの中咽頭がんの告知を受けました。先日のBS放送(がん特集)を視ての感想です。これだけ、患者数が増えている昨今なので、出版物や放送の本数も相当な量になるのはわかるのですが、有名人タレントが登場すると、さすがに食傷気味です。それより本当に情報がほしいのは、市井の人たちの取り組み方や生き方、家族との関わり方ではないでしょうか。

がん一万人の声60代 男性, リンパ節遠隔転移, 死生観

がんにより、余命を告げられた私。そして、その後、同じく余命を告げられた私の妻。私たちには子供はいませんが、今、生かされている命の美しさ、亡くなられた方の命と共に、これからもつないでいく命に大拍手です。命は永遠です。

がん一万人の声60代 男性, 仕事, 肝臓がん

私は今、がんをわずらっており毎日寝ている状態で仕事ができず収入がないので生活に困っている。
親の貯金をくずしてなんとかやりくりをして生活をしている状態です。

がん一万人の声, 大腸がん60代 男性, 家族(妻との時間)

2012(平成24)年1月1日。私は朝一番に家内(肺がん)の病室を訪ねました。そして、二人で病室の窓から、昇る初日の出を眺めました。まだ動き出さない静かな病室で、黙って朝日を眺めていました。その時だけは先の不安も感じない透明な時間が流れていたように思います。
結局、これが二人の最後の正月になってしまいましたが、今では心に残る思い出のひとコマです。

がん一万人の声, 大腸がん60代 男性, がん手術

2011(平成23)年12月26日のことです。朝食の準備をしようと台所に立ったものの、立っていられないほどの腹痛に襲われました。搬送先の病院での見立ては「おそらく大腸がん」でした。精密検査をしていたら、病院が休みに入ってしまうし、腸閉塞になっているので、「早く切らないと命も危ない」ということでした。
結局、手術は28日の朝から行われました。私の手帳には、「AM6:00浣腸OK」とのみ記されています。麻酔がよく効いて、手術中のことは全く覚えていません。 1月31日に再開されたメモには、「開腹手術、上行結腸を30cm切除、5cmのがん」と記されています。少しですが、リンパ節にも転移があり、ステージはⅢaでした。
29日の午後にトイレまで4回歩きました。30日にはトイレの他に、廊下を少し歩きました。でも、両日とも熱が下がらず、解熱・鎮痛剤の点滴の影響なのか、終日ぼんやりしていました。
31日は元気になってきました。手帳には、「6:30~約500歩 9:45 Drより飲水の許可 10:00~約500歩 13:00~約1000歩 15:30~約1000歩(11Fへ)」とあります(11Fとは11階の肺がんで入院中の家内の病室のことです)。

がん一万人の声, 大腸がん60代 男性, 妻の肺がん

2011(平成23)年12月31日。手術から3日目。点滴スタンドを支えに時間をかけて病室まで辿りついた私に、家内は、驚きながら満面の笑みで迎えてくれました。
当時、家内は肺がんが脳に転移して、病院で全脳照射を受けるために入院中でした。当初は通院治療だったのですが、世話をする私の事情で緊急入院となっていたのです。私の事情とは、私も「がん」になってしまったということです。
私たちは、二十歳の時から同居を始めましたが、子宝にも恵まれず、親戚づきあいもほとんどなかったため、ずっと二人っきりで暮らしてきました。家内のがんが見つかって1年間ほどは、私は職場の介護休暇等を利用しながら付き添っていましたが、肺がんが縦隔に転移し骨にまで至った段階で(職場にも居づらくなってきていたので)中途退職して、つきっきりで面倒を見るようになりました。
家内はタバコも吸わないのに肺がんになりました。家内の病気の原因は何かわかりませんが、両親の介護というストレスが一番大きな原因と思っています。2人の父親を看取り、2人の痴呆の母の特養入りがやっと決まった矢先に肺がんが見つかりました。私が仕事にかまけて両親の世話を任せっきりにしていた日々が家内の肺がんを大きくしたのだと思いました。そんな気持ちがあって、私は家内に四六時中、金魚のフンみたいについて回っていたのです。