がん語らいの交差点 わたしのがんカフェ

星野史雄のパラメディカWeb書店

がんと向き合って

  • 著者
  • :上野 創
  • 出版社
  • :晶文社・2002年/朝日文庫・2007年

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星野店主の書評

著者は1971年生まれ。朝日新聞横浜支局に勤務していた1997年初夏、横浜市立大学付属浦舟病院で睾丸に悪性腫瘍が見つかり、入院する。腫瘍の原発部は直後に手術で取り去るのだが、がん細胞は既に肺全体に転移していた。抗がん剤治療を開始するも効果が現れず、ついには通常の三倍の“超大量化学治療”を敢行。顔はパンパンに腫れ、手足は赤紫色、舌は真っ黒に変色した。敗血症を起こし、多臓器不全の危機を乗り越え、更に二度の再発にも耐えて職場復帰する。職場の先輩で、発病直後に入籍した妻・高橋美佐子さんが夫の闘病を懸命に支えた。

延店員の書評

 生まれて初めて書評に立ち向かっている。自分でも不思議に思う。実を言うと本を読むことが苦手なのだ。ことさら闘病記は努めて読むのを避けてきた。1984年、私は13歳で白血病になった。その時から常に生と死を考えるようになり、言ってみれば闘病のドキュメンタリードラマで演じ続けることを余儀なくされた。治ることが困難な時期だったことも合わせて、他の人がどうしているなんて関心をもつ余裕など微塵もなかったのだ。少しずつがんが治るようになってくると闘病記なるものが世に出るようになったが、それでも読まなかった。自分の病気は与えられた環境において自分でプロデュースするという、信念みたいなものがあった。闘病記を避けてきた理由は以上として、本を読むのがそもそも苦手なのは、書籍には活字がドーンと攻めてくるようなイメージがあるからだ。読むことそのものが苦手ではない。新聞や雑誌、web上の記事やコラムを読むことはむしろ好きである。そんなこんなはいったん置いといて、この本を手にとることにした。「読まない理由」を振り払って書くことにする。

 まずは「結婚しよう」の一節、思わず笑ってしまった。私は結婚して一年と少し経つが、二度目のがん、直腸がんの闘病中にある日突然「結婚しよう」と言ってきたのは妻からだった。妻からの「結婚しよう」という言葉は、著者が逆プロポーズを受けた時の反応が身悶えするくらい自分の時と同じで、まさに「不良物件」であった。休日窓口に二人で婚姻届を提出したことまで。まるで原作が映画化されて、少しだけストーリーに脚色が加えられたくらいの違いかもしれない。さらに巻末の「二人で紡ぐ物語」を読み、あらためてその時の、そして今の妻の思いを考えさせられた。著者の妻が結婚することへ至った思いを「家族となり、彼が突然背負い込んだ荷物を一緒に担いたかった」と記している。私の妻は「結婚しよう」と言った後に「責任をもちたい」と添えた。本当の二人三脚で病気に立ち向かう日々はそこから始まった。入院や手術、治療の苦しみを乗り越える目的が自分のためだけではなくなる。そうなのだ。病気を患ってしまった本人にとって最大の支えになるのは、いちばん側で寄り添ってくれる人なのだ。

 私が受けた最後の手術は2012年の年末で、そのまま正月を迎えた。テレビはお正月モード、そこに映る人々の姿は初詣や海外旅行など三が日を過ごし新年を祝っている。入院患者にとって日常と違うことのひとつは食事の献立。ちょっぴり豪華っぽい食材と謹賀新年などと書かれた紙が添えてあったりする。スタッフの数も少なく病棟には患者はほとんどいない。くじで正月勤務になってしまったなど、にこやかな愚痴などの会話を交わしながら閑散とした病棟は、かえってアットホームな空間のように思えた。その時期に著者は抗がん剤の副作用と闘っていた。私も手術後の痛みがようやく和らぎ始め、前屈みで点滴台を転がし渡り廊下を行ったり来たりしながら歩く練習をしていた。高層の病室からの初日の出はきれいに見えて、写真を何枚も撮ったことを覚えている。

 著者は医療者との関わりの描き方も達者である。医師の最初の印象が徐々に変化していくことや看護師が身近に支え話をしてくれることなど、医療者と患者の立ち位置の高さが違わないことを教えてくれる。文中に「優しい看護師にしっかり歩かされたおかげで、回復は早かった」とある。これは手術後のリハビリを経験した者にしかわからない、愛のこもった‘irony’である。

 「「絶対死なない」確信」という一節がある。著者はある瞬間、「このまま死ぬことは絶対ない」という確信に打たれる。私は、ほぼ同様の思いを13歳の病気の時に感じた記憶がある。治療薬を試しても副作用によって確定できず、肝機能障害や血小板減少など深刻な状態を経ていながら「自分は絶対治る」という根拠のない思いは決して消えることがなかった。「負けられない」という気持ちがなにかしらに作用するのは本当である、と自信を持って言える。病気、治療、副作用、治ってからの生活などに対し、自分の気持ちをぶつけていくことは必ず何かのパワーを生み出してくれると私は確信している。

 がんを患う前まで、著者は最前線での仕事を任され忙しくも充実した日々を送っていたように、誰もがその人にとってあたりまえの日常を暮らしている。しかし病気は予告することなく無差別に誰かの頭上に降りかかってくるものなのだ。そして苦しく辛い闘病生活が始まる。時には「死んでしまいたい」ということさえ大げさではない思いを抱えながら、それでも病気を治すために全力で挑んでいく日々を重ねるのだ。そんな思いをしてまで、がんばろうとするのはなぜか。おそらくはほとんどの人ががんを患う前と同じ、もしくは少しでも近い状態であたりまえの日々を再び送りたいと思っている。そして自分の「居場所」に戻ることをみんな目指し、病院の中そして病院を出てからも闘いのリングに上がり続けるのだ。実は「居場所」へ戻ろうとする思いこそが、最終的には病気を乗り越えようとする大きな力になってくれるものだと感じている。

 重ねて「死を想うこと」の大切さ。悲観的なものとして死をとらえるのではなく、フラットなものとして死を考えること、そして生きることと結び付けていくことを普段からできていれば、ある日突然がんという病気に直面した時にいくらばかりかの手助けをしてくれるように思う。この思いは、がんが不治の病であったころに白血病になりその後の人生を送っていく中で私自身が自然と心の中にできあがってきたものである。がんが治る時代なってきた今こそ、このような考えをもった人が一人でも増えることが重要であるし、そのきっかけが「死の教育」などを通じて早い時期であれば浸透させていくことにもつながるだろう。

 この著書は、新聞記者としてのある意味での「使命」を果たすかのごとく書かれたものであり、がんになったばかりの人や治療中の人、患者の家族など本を手にとったすべての人に対して良い方向へ心を向かわせてくれる役割を、優しくひらがなで「がん」と描かれたブックカバーの中に包み込んでくれている。

 偶然、著者と私は同い年であり同じサバイバーでもある。プロポーズの状況まで似ているときて、とても親しみやすく読めた一冊であった。しかしながら明らかに自分と違う点がある。私と異なり著者がイケメンであること。それだけがうらやましいかぎりだ。