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アクティブ・デス
真快和尚の死の選択

  • 著者
  • :川越 厚
  • 出版社
  • :岩波書店
  • 発行年
  • :1997年

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星野店主の書評

在宅ホスピスを推進する川越医師が、咽頭がんで死を覚悟した「ガン封じ寺」の真快和尚の凡俗とも高尚ともいえる最期を報告している。真快和尚自身が執筆した『ガン封じ寺和尚の「死ぬに死ねない」ガン闘病記』(ポケットブック社)、『ガン封じ寺和尚の奮戦記――捨てて歩け』(国書刊行会)、『もう一度生かされて――人生の崖っ淵を歩き続けた心の記録』(経済界)も、闘病記という以上に読み物として傑作だ。

山田店員からメッセージ

 助かるとはどういうことか? 皆さんこんにちは、店員の山田です。今回紹介するのは「アクティブ・デス」という本です。冒頭の一文については少し後で説明しますね。

 この本は闘病記とは少し違うかもしれません。がんと戦っているのは真快和尚(高田真快さん)という僧侶ですが、この本を書いたのは医師の川越さん。真快和尚の最後の2ヶ月を担当したホスピス医です。

 真快和尚は上咽頭がんを患い、余命宣告まで受けながらも奇跡的に寛解した経験を持つ人です。その時の闘病については「ガン封じ寺和尚の奮戦記―捨てて歩け」などで語られています。しかし、数年後にがんが再発し、死を避け得ないと悟ると、真快和尚はホスピス医の川越さんを訪ねます。

 川越さんは真快和尚が亡くなるまでの2ヶ月ほどのあいだ、ホスピス医として適切なサポートをしていきます。また、症状が進んで自分で闘病記を執筆することが出来なくなった真快和尚に「私のことを本に書いて欲しい」と頼まれ、それを実行します。そうして出版されたのが本書というわけです。

 「アクティブ・デス」というタイトルですが、これは川越さんがかねてから提唱している死のあり方です。おおまかに言えば、自分が主体になって自分の望む死を迎える。自分の死に方は自分で決めて、医療者にはその手助けをしてもらう、ということです。死というイベントの主役を、本来は部外者である「医療者」から「本人」に取り戻す思想とも言えます。

 真快和尚の生き様、死に様がまさに「アクティブ・デス」の実践であったことから、川越さんはこの本のタイトルをこの様にしました。しかし、本書の中でアクティブ・デスについての説明は最低限で、大部分はドキュメントとしての真快和尚の生き様の記録に費やされています。

 そのため、この本はちょっと読むのが大変です。とにかく事実をありのままに記録した文章で、会話などもほとんど話し言葉のまま文字にしてあります。そのため、理解しにくかったり、冗長に感じる部分もあります。それでも、やはりこれは読むに値する本です。

 さて、冒頭の一文「助かるとはどういうことか?」。これは、僕がここ数年、ずっと考えていることです。一般的には、「助かる」とは死なずに済むことで、逆に「助からない」は死ぬことでしょう。しかし、それだと人間は誰しも、最後は絶対に助からないことになります。でも、そんなのは絶対におかしいと思うんです。人間の最後は必ず、助からないという悲劇で終わるのでしょうか。

 本書の中に、川越さんのこんな言葉があります「ひとはよく、がんに打ち勝ったというんですが、それはがんが治ったことだけを言うんじゃないと思うんです。和尚さんのような方が本当に勝った、と言えるんじゃないでしょうかね」

 真快和尚はがんが進行し、死を目前にした人です。その真快和尚ががんに打ち勝った人だと言うのです。僕はこれを読んだ時、長年の疑問について重要なヒントを見つけたと思いました。真快和尚はがんに侵され、死に至ります。しかし同時にがんに打ち勝った人でもあるのです。それはつまり、死を迎えたが、それは助からなかった結果ではない。むしろ、助かった人だとも言えるのです。

 うーん、ちょっとわかりにくいでしょうか。この本を読めばきっと分かっていただけると思います。