手術が出来ないと言われ、主治医との話し合いが続けられず、セカンドオピニオンを受けることに。結局、治療方針は変わらず、主治医と同じ選択を示された。しかし、なかなか元には戻れない。思い切って主治医に相談。同じ医局内の他の先生に主治医になってもらうことが出来た。同じ医局内でも、それぞれの先生によって対応も言葉も違うものだと実感した。お陰で納得してこの先の治療に臨めそうです。
→「パラメディカ」大腸がん闘病記 紹介
セカンドオピニオン〜主治医を変えることになっても同じ治療を受けられる?
食べて体力を維持することで命を繋ぐ=再発・再々発にめげずに自分らしい今を!
22年前に乳がんと診断されて、以来5年、7年、10年、17年と再発・再々発、転移を繰り返しながらも食べることにこだわり命を繋いできた。日々、三度の食事のメニューが並ぶ手帳も22冊を超えている。この手帳、最初は治療のスケジュールの数字ばかりだったのが、食べて動くことで治療以外、人や催し物など、更には自身が担当するピアサポーターの「ヤルコト!」で一杯になってきて、手帳のサイズが大きくなってきた。手帳を開くたび、めくるたびに誰々との楽しい会話や一緒に眺めた風景が思い出されて人生という豊かな時間を味わえる。そう、食事は料理の味だけでなく人生の味わいも提供してくれる。この手帳をまとめて、何か出来ないかとワクワクする毎日なのです。(兵庫県在住 元看護師)
セカンドオピニオン 主治医との関係に悩む
一万人の声に新たな意見が寄せられました。この話、どこでも聞く話ですね。結論を急ぐことは無いのですが、治療方針に関することは、双方納得の上でセカンドオピニオンを受けることが勧められています。治療方針や医療情報だけでなく、話し易いとか、頼り甲斐とか人は様々な感覚を駆使して自身の納得を探しています。信頼はその先に時間をかけて築かれるものかも知れません。
見逃さないで、!「赤いヘルプカード」に託す「助けて!」のサイン
抗がん剤、医療用麻薬の副作用に苦しむ朝の出来事。
一月の寒い日、電車は満席、私は立っていました。
電車が動き出すと同時に吐き気、首を雑巾絞りされるような、頭がちぎれるような激痛が何度も何度も襲ってきました。
そして冷や汗が一気に出て、体が震えて立っていることができなくなり、その場にしゃがみこんでしまいました。
これは抗がん剤と医療用麻薬の副作用です。
その時、赤いヘルプカードはカバンの外に出ていて、私の前に座っている人のちょうど顔の前にありましたが、その人はもちろん周りの人達も、誰一人私に声をかけてくれる人はいませんでした。
私は10分程かかる次の駅まで何とか耐え、ある力をふりしぼって次の駅で降りました。つらすぎて、どう降りたか記憶がありません。
そして、ホームの椅子に3時間、寒風に晒されながら動けず座っていました。痛みはなかなか治まらず、どうなっちゃうんだろうと不安な気持ちでいっぱいでした。何度も同じ駅員さんが通りましたが、一度も声をかけてくれませんでした。
体もつらかった。それ以上に心がとてもつらくなる出来事でした。
今でも思い出すだけで悲しくなります。
私にとって赤いヘルプカードは、どこかで倒れてしまった時の、そして救急車で運んでもらう時の、体の身分証明書(連絡先、病名や現在の治療状況、運んでもらう病院が書かれた)になってしまいました。
バスや電車に限らず、知らない人に声をかけることは、とても勇気のいることです。けれど皆さんの勇気で、つらさが和らぎ笑顔になれる人がたくさんいます。そしてその笑顔を見ることで、声をかけた皆さんも自然と笑顔になれます。
お互いが今日一日を笑顔で、温かい気持ちで過ごすことができます。
ヘルプカードを持っていなくても、お年寄りや体の不自由な方、妊婦さんなど困っている人に、ひと声かける「勇気!!」、そんな素晴らしい「勇気」と「優しい心」を持ってもらえたら嬉しいです。
私自身も「どうぞ」と声をかける「勇気!!」を心がけて過ごしています。
Vol.16 本間泰さん、薫さん(福岡県)
舌がんステージⅣを乗り越え、フルマラソンに挑戦。涙のゴール。
ステージⅣになり主治医からは「後悔しないように毎日を大切に生きて下さい」と言われ・・・
ステージⅣになり主治医からは「後悔しないように毎日を大切に生きて下さい」と言われ「あ、最後が近いんだな。標準治療が終われば最後は緩和になって終わりか…」と言う考え方に固定されてましたが、いろんな情報が入るうちに「何か他に出来る事があるかもしれない!長く生きられるかもしれない!」と考え方が変わってきました。
セカンドオピニオンをどこにするかなど全然検討もつきませんが、自分の考え方と同じような、「あ、この先生になら安心して全てを話せる」と言うような方とお話し出来たらな、と思います。
毎年忘れないよう誕生日にがん検診に行きます。・・・
姉が子宮頚がんになって、20年経ちました。
子宮と脚のリンパ、卵巣を取り、大変な闘病生活を送っていました。
リンパ浮腫に苦しんでいましたが、最近30、40分歩くようになって、少し楽になったようです。
姉のおかげで、毎年忘れないよう誕生日にがん検診に行っています。
がん患者の家族になって・・・
妻が乳がんです。
がん患者の家族になって、あたりまえの日々を
あたり前に過ごせる幸せに気づきました。
がん検診の受診率の向上を願っています。
院内乳がん患者会の会長に・・・
乳がん患者という立場になって、8年目を迎えました。
患者になったばかりの頃は、先の見えない不安に心を乱されたり、まわりから心配されるようになっ
た自分に対してうまくバランスが保てなくなり
「患者なんて立場、早く終わりにしたい」と悲しんでいましたが、ご縁があって昨年から、院内乳が
ん患者会の会長を務めさせていただいています。
もし今、8年前の自分の側にいられるなら、そっと背中をさすってやりたいです。
大丈夫、またいっぱい笑えるようになるから…と。
少し緊張なさりながら患者会に来られる方のご様子が、8年前の私の姿に重なります。
乳がんになって、悲しかったりくやしかったり申し訳なかったり…
そんな気持ちがフンワリ和らぐ場所作りのお手伝いをさせていただこうと思っています。