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告知から検査を経て1カ月後の8月に手術をうけました(右胸全摘)。 グルグルと色々な思いが巡って一周。自分でも不思議なくらいスッキリとした気持ちになっていました。
それから患者会のことを入院中に知り、退院してから少しして勉強会に参加させていただきました。心配性の母も連れていったのですが、二人ともとても元気をもらって、更に前向きになれました。
「病は気から」とよく言われますが、確かにこわいけれども、どう向き合えるかで自分の中から変えられると思います。
病気になってわかったこと、気付かせて頂いたことがたくさんあります。周りに感謝だなーと思います。9月からはじまった半年の抗がん剤も前向きで臨み、3月に終了しました。
1月から職場復帰しています。毎日慌ただしいですが、自分をいたわり、また生きていることを実感して楽しみたいと思います。

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2005 (平成17)年、乳がん告知後は早くこの異物(腫瘍)を切除して欲しく、喜び勇んで、故郷の英雄・新田次郎著「新田義貞」の上下2冊の本と「水森かおり」のカセットテープ、購入したばかりの携帯電話を持って病院15階に入院した。術後は胸から出るドレーン(管)がなくなるまでの14日間、廻り階段を上下して足腰を鍛えて、疲れて熟睡できるよう心がけ、産まれて初めての入院生活を楽しんだ。

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2013年(平成25)6月。職場の健康診断で右胸にしこりがあるのが触診で分かり、すぐに精密検査を受けて、その結果乳がんの告知を受けました。 私は癌=不治の病・死という単純なイメージしか持っていなくて、自分が今どのような状態であるのか、聞いていてもまるで耳に入らずに、恐怖で一杯でした。
また、ひとり暮らしをしていて仕事もしており、生活をどうするのか、手術・入院となると職場にも話をしなくてはならないし、続けることができるのか不安と、また親に話しをするのが辛く、途方に暮れていました。
私は養護施設で働いています。虐待等事情があり親と暮らせない・・2才~18才の子どもが生活している施設で保育士をしています。小学1年生~高校3年生の男の子のグループを担当しているのですが、仕事にはとてもやりがいを感じていました。それでやっぱり辞めたくないと思い、同僚に相談して、続けていけるようにどうすれば良いか重ねて話をさせて頂きました。
仕事、するべきことがあれば、恐怖心から少しでも逃げられ、違う角度から見つめることができるかとも思いました。職場でがんになり、仕事を続けたいと思うのはわたしがはじめてだったので、沢山の人や子供たちに負担や迷惑をかける形になったのですが、「待っています」という心強い言葉を頂き、やる気が湧いてきました。
またCTやMRIの検査に卒園した子どもが心配してついてきてくれたりと、うれしかったです。おかげで心の回復ができ、まだ親に言えていなかったのですが、話をすることができました。

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患者会で会員にがんに罹患する前にどんなドラマを抱えていたか、と質問したことがある。ほとんどの人が「ああ!思い当たることがある」と答えていた。そしてその大半がストレスだった。私も例外ではない。沢山の思い当たることがある。当然のことだと思う。人はこの世に生を受けた時から人生の波に晒される。小さな波もあれば、荒波もある。100%なにも無い人などいないに違いない。がんであってもなくても変わらないのではないかと思う。どんなにつらくても、苦しくても、人は生ある限り生きていかねばならない。インドではコブラは知恵の神様として厚い信仰を受けていると聞いている。それならば、蛇のようにくねくねと、様々な障害をかわしながら、知恵を働かして生きていけたらと願っている。

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私は平成16年(2004年)1月頃、卵巣腫瘍が見つかり市民病院で摘出して…抗がん剤の副作用で便秘や髪の毛が抜け(平成20年頃)苦しみましたが、抗がん剤治療が終わり、6年かけてやっと毛が長くなったが今だ髪の毛は地がすけて見えるが…これも6年掛け養毛剤を使ってのことです。
肺に転移し、肺がんで平成21年(2009年)〜平成25年いっぱい放射線を月何回行きかけました。1回30分です。今の1年に1回は消えたが新しいの(腫瘍)が一つあり、小さいので様子を見ていましたが、此の所少し大きくなっているとの事。今年(平成26年)11月頃また病院に行き、放射線治療をするかどうか先生との話の上になります。
今は少し普通に歩いたり(5分程)、坂をのぼると呼吸困難で苦しくなります(前向きに歩いていますので…年も年ですし無理しないでいます)。別に痛みはありません。家の中位のこと出来ます。
病気にとらわれず、前向きに明るく生きることが大切だと思っています。

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私は41歳の時急性肝炎で倒れ、一年間入院しました。それ以来75歳の今日まで14回入院し、8回手術を受けています。病名も多様で、急性肝炎、慢性肝炎、前立腺肥大、椎間板ヘルニア、左右のそけいヘルニア、消化管出血、そして右腎細胞がん、肝細胞がん3回です。これだけの病気に耐えてこられたのは、妻や家族の支えがあったからだと思います。
がんについては肝炎治療を継続して行う中、定期的に血液検査やCT、MRI検査を行っていましたので、4回とも発見が早く、早期治療が出来ました。がんは、早期発見、早期治療すれば決して怖い病気ではありません。

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妻は高校の同級生で、20歳で結婚しました。1男2女、孫が7人います。妻には、私の看病、子育てなど大変な苦労をかけてしまいました。私を支えてくれた妻が、私の腎臓がん手術のあと(その後肝細胞がん3回)、もの忘れがはじまり、アルツハイマー型認知症と診断されました。3年前から歩くことも話すこともできなくなりました。現在デイサービスを利用しながら在宅介護をしています。何年続くかわかりませんが、私の体力の続く限り在宅を続けようと思います。それが妻へのお返しです。

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私は病気とは闘わないことにしています。病気も身内だからです。特にがんが見つかった時には「がんよ私を殺すなよ。私が死ねばお前も死ぬのだぞ」と呼びかけています。

がんと生きる日々, 動画, 肺がん食道がん

幸田道子さん。毎年検診を受けていたにも関わらず、肺に見つかったのは5cm大のがんでした。その後抗がん剤治療、半年で再発。そして、脳への転移。生きる意欲をなくし、もう終わりに近づいたと思う幸田さんが希望を見出だしたのは、患者会での様々な人との出会いでした。人と語り合い、自らの悩みを打ち明ける事で気持ちが軽くなって行った。そうした気持ちになれたのは、5年10年と前向きに生きて来た人たちの存在です。そして、世話役の一人源靖夫さんにお弁当を作ろうと思い立ちました。肺がん、食道がんを経験し、胃も食道も無く、一人暮らしで食事もままならない源さんに何かしてあげられる事は無いか。「生きていてもらいたい」という想いからでした。人は人と繋がり役割を持つ事で生きる希望に繋がる。幸田さんと源さんのドキュメント。

→「パラメディカ」肺がん闘病記 紹介

がんと生きる日々, 最後の授業, 小児がん, 動画, 直腸がん延哲也さん

教師として忙しい日々を送っていた延哲也さんが大腸がんと診断されたのは38歳の時。手術をしたものの、その後も再発、再再発と次々とがんがみつかりました。手術や放射線、抗がん剤などあらゆる治療を続けていますが、それは同時に副作用など多くの痛みに悩まされる日々でもあります。手術後には腸の活動が戻らず、腸閉塞(イレウス)となり、吐き気や腹痛で食事がとれなくなることもありました。それでも延さんはそうした痛みに耐えながら前向きに治療と向き合っています。なぜなのか?「辛い治療を続けるのは、自分の居場所、学校に戻って教鞭をとるため」だと延さんは云います。副作用や痛みをはじめ、不安にも向き合う緩和ケアも受けながら、50日ぶりの退院を果たした延さん。迎えてくれたのは、黒板に大きく書かれた「おかえり」の文字と、子供たちの笑顔でした。