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そういえば、ずっといろんなことを我慢し続けてきた様に思いました。 自分が我慢することで「相手に嫌な思いをさせないでおこう」とか、やりたいことがあっても今の自分では無理ではないかと思ったり、周りの反発を受け止めることが出来ないように思えて動かなかったり。でも、検査の結果によっては自分の残り時間は少なくなるかもしれない。もう我慢はやめとこう。そう思いました。治療で娘や主人にしんどい思いはさせたかもしれないけれど、我慢をやめたことで気持ちが楽になり思い切ってしたいことを少しずつではあるけれどしています。

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娘が2歳10ヶ月、私が36歳のときに乳がんだということが分かりました。丁度検査などで病院に通っていたのが8月の暑い最中で、自転車で汗だくになりながら「こんなに元気なのに重い病気かもしれないんだなぁ」と思っていました。
告知をされたときに、「乳がんです」と言われたことはそれほどショックではなかったのですが、治療の説明を受けているうちに妊娠も出来なくなるということが分かり、そのときに改めて大きなショックを受けました。結婚して5年足らず。結婚した年齢が早いとは言えないまでも、まだ頑張ればあと一人、運が良ければ二人、と思っていました。
子供が欲しかったからこそ、好きな仕事も辞めて家庭に入ったのに…。

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昨年(2013年)の6月、乳がんの告知をうけ、7月25日に手術しました。
幸いに、しこりは8㎜(自分でみつけた)と小さく手術も傷口13針位ですみました。
術後、ますいの為か2、3日はき気に悩まされましたが、痛みもほとんどなく、現在の治療はホルモン剤(アナストロゾール)1日1ヶと、3か月毎の検査をしております。
子宮がんの心配もあったので、1年間、3か月毎に検査をうけましたが、乳がんの手術以上につらく途中で検査を受けるのやめようかと思いました。
1年に1回の検査になったのでホッとしています。
母も兄もガンで亡くなっているので、常に転移のことが心配で気になりますが、日常生活は運動(太極拳・卓球・バドミントン 1時間半程度)趣味の編物、書も続けておりましたが、半月前に5時間ほど記憶が無くなり診断は、一過性健忘症でした。
その時も頭に転移したんじゃないかと考えたり、感情が高ぶりイライラしてつい主人にあたってしまいヒステリックになったりします。
運動のし過ぎでつかれたのかなーと反省したりしますが、性格的にじっとしていられないので、又運動等して、外に出かけるようにしたり。でもゆったりしたほうが良いのかなーと思ったり、少し悩んでおります。

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告知から検査を経て1カ月後の8月に手術をうけました(右胸全摘)。 グルグルと色々な思いが巡って一周。自分でも不思議なくらいスッキリとした気持ちになっていました。
それから患者会のことを入院中に知り、退院してから少しして勉強会に参加させていただきました。心配性の母も連れていったのですが、二人ともとても元気をもらって、更に前向きになれました。
「病は気から」とよく言われますが、確かにこわいけれども、どう向き合えるかで自分の中から変えられると思います。
病気になってわかったこと、気付かせて頂いたことがたくさんあります。周りに感謝だなーと思います。9月からはじまった半年の抗がん剤も前向きで臨み、3月に終了しました。
1月から職場復帰しています。毎日慌ただしいですが、自分をいたわり、また生きていることを実感して楽しみたいと思います。

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2013年(平成25)6月。職場の健康診断で右胸にしこりがあるのが触診で分かり、すぐに精密検査を受けて、その結果乳がんの告知を受けました。 私は癌=不治の病・死という単純なイメージしか持っていなくて、自分が今どのような状態であるのか、聞いていてもまるで耳に入らずに、恐怖で一杯でした。
また、ひとり暮らしをしていて仕事もしており、生活をどうするのか、手術・入院となると職場にも話をしなくてはならないし、続けることができるのか不安と、また親に話しをするのが辛く、途方に暮れていました。
私は養護施設で働いています。虐待等事情があり親と暮らせない・・2才~18才の子どもが生活している施設で保育士をしています。小学1年生~高校3年生の男の子のグループを担当しているのですが、仕事にはとてもやりがいを感じていました。それでやっぱり辞めたくないと思い、同僚に相談して、続けていけるようにどうすれば良いか重ねて話をさせて頂きました。
仕事、するべきことがあれば、恐怖心から少しでも逃げられ、違う角度から見つめることができるかとも思いました。職場でがんになり、仕事を続けたいと思うのはわたしがはじめてだったので、沢山の人や子供たちに負担や迷惑をかける形になったのですが、「待っています」という心強い言葉を頂き、やる気が湧いてきました。
またCTやMRIの検査に卒園した子どもが心配してついてきてくれたりと、うれしかったです。おかげで心の回復ができ、まだ親に言えていなかったのですが、話をすることができました。

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がんと聞いたときは、意外に恐怖感もなく、「どんなウイッグ(かつら)かぶろうかな・・・」と考えていたなんて、呑気ものでしょう、ハハハハ。
知人たちにも早期だと抗がん剤もいらないのよ、と吹聴しています。
主人は、お酒もたばこも嗜まなかったのに、胃がんのため38歳で天国へ。単身赴任して、もはや42年経ちます。私は、血管破裂即死を免れ、今年76歳。ちょうど、主人の倍、歳を重ねました。もう、おまけの人生を送っている私へ主人から超特急の片道切符が届くのを待っています。(ドタキャンはしませんから。)
子供3人、孫7人。みんなで労わってくれて幸せです。笑顔でいましょう。

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今日も笑顔で一日過ごせた。いろんな事があるけど♪ケセラ セラ♪いつも笑顔でいるのが私の心性。おかげで幸せです。
2009(平成21)年12月、72歳の時、先天性動脈管開在あり、その先の検査で偶然、上行大動脈瘤が見つかり、心臓止め骨切り開き(アジのひらきみたい)を受けました。人工血管13cmほど取り替え10時間以上の大手術でした。主治医の先生は、お正月3が日も含め、毎日病室に来てくださって、本当に嬉しかったです。感謝しています。喉の片方(喉頭)が麻痺しましたが、そのほかは順調に回復し、2か月で退院しました。夜は自宅で在宅酸素吸入しています。
「病(や)めるとも 孫との談笑 春近し」
2010(平成22)年2月、退院前に孫が見舞いに来てくれた時の1句です。
一難去ってまた一難。
2011(平成23)年3月、右側の肩が「肩こりかな」と感じ、念のため、乳腺検査を受けたところ、左側にステージⅠの乳がんが見つかり、膠原病(強皮症)のため放射線治療が受けられず、全摘との説明を受けました。
私「いやや」。
先生「10時間もかかる手術を受けたのに、こんなの1時間で済むよ」。
先生に後押ししていただき、手術後は一度も痛むことなく1週間で退院しました。2年目も無事検査をクリアでき、先生に感謝です。

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6年弱続いた乳がん治療が終わり、その副作用が徐々に薄れ、手足末端の神経はまだまだ痺れているが気力が出てきた。ホルモン療法の副作用で疲れてしまい、3年間休んでいた太極拳。今年から美人の師匠から「お帰りなさい!」と云われて嬉しくなりまた始めた。瞑想(坐禅)も2年前から始めているし、ヨガも挑戦しようかと思っている。もちろん、新鮮な野菜は手術当時から家庭菜園で栽培し、定期的に送って貰った黒舞茸も加えて多食していた。今後は老化の進行を如何に遅くするかの戦いである。これもすべて患者会の皆さんと病院、サポートしてくれた妻のお蔭と感謝している。感謝!感謝!です。

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患者会の会員集めのために初めて行われた医師による講演会で、前座で「男性乳がん患者の体験談」も報告した。あれから患者会を通じて、多数のがん患者とおしゃべりし、先生方の講演も聴講し、また、インターネットのホームページからも学び、良いと思った事を実践した。

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患者会で会員にがんに罹患する前にどんなドラマを抱えていたか、と質問したことがある。ほとんどの人が「ああ!思い当たることがある」と答えていた。そしてその大半がストレスだった。私も例外ではない。沢山の思い当たることがある。当然のことだと思う。人はこの世に生を受けた時から人生の波に晒される。小さな波もあれば、荒波もある。100%なにも無い人などいないに違いない。がんであってもなくても変わらないのではないかと思う。どんなにつらくても、苦しくても、人は生ある限り生きていかねばならない。インドではコブラは知恵の神様として厚い信仰を受けていると聞いている。それならば、蛇のようにくねくねと、様々な障害をかわしながら、知恵を働かして生きていけたらと願っている。