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乳がんになったことを家族、友人に話したことで、沢山サポートしてもらった。辛い時に夕食を持ってきてもらったり、子どもを預かってもらったり。髪の毛が抜けた時も子ども達がカツラで遊んだり笑い合って過ごせた。温泉に行きたいけど、(乳房ふたつ取ったので)まだ勇気がでないかな。

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まだ”ありがとう”という気持ちまでには届きません。
でも、がんになって死と真剣に向き合えたことで、
一日一日を丁寧に生きることが出来ていることは、
私の宝となっています。

 これからしたいことは沢山あります!
岩手県で一番高い岩手山に登りたいし、英語を学んで外の世界に触れてみたい。
また、心と身体にいい場に身を置きたいし、自分もその場の一人になりたいと思っています。

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癌になって思ったことは、癌友のありがたさ。
若年性乳がんで、家族にも周りにも癌キャリアがおらず相談する事も愚痴を言うことも出来ず、ひた
すら主治医の示す治療計画どおりに治療をする事に懸命になっていたあの時。
自分を受け入れる事が出来ずにいた私に、会って直ぐから色々と話しかけて「私達も同じ、まだ生き
ているから大丈夫。」そう言って励ましてくれた友に感謝です。
10年を過ぎて少し不安が軽くなったので、恩返しのつもりで、
これからは治療の事・仕事の事・生活のことを今悩んでいるがん患者さんの為にサポートをしたい。

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1999年、肺にがんがみつかりました。
以後16年間、大学病院で経過を診ていました。
あきらめていた生命保険に入れると誘いがあり、入りました。(3年前です。)
その本体に基づいて、がん保険の誘いがありましたが、
その頃首のあたりに異常を感じていたので、医大の医師からのすすめもあり耳鼻咽喉科へ診察に行きました。

その間A保険の勧誘員から再々電話があり
「首の甲状腺でひっかかっているので今は入りたくありません。後で揉めるのも嫌だから。。。」
の言葉に、
「甲状腺はがんではありませんから、もうひとつの保険は間違いなく入れますし、
がん保険は3か月の免責期間があります。
3か月でがんになることはまずありえませんからぜひ入会してください」
と言われてまぁいいかで入りました。

その後、医師の方も
「悪い物ならあなたはとっくにおだぶつしてますよ。私はこのまま様子を見てもいいと思いますよ。
けれど貴女がどうしても気になるなら手術しても良いですよ。」
一旦は帰りましたが気にならない訳がない!
再度自分から行きました。
手術してはっきりしたい、このままうやむやにはできないからと、、、
急ぐ必要はないといった医師は3か月以上も後の予定を入れてきました。

平成27年12月3日、入院翌日の4日に手術。
取ったものから10日後、7つのがん細胞が出ました。

A保険の責任開始日は平成27年12月3日でした。
保険は解除、かけ金も戻りません。
本体の保険も解除されました。

 

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平成25年1月10日、右乳の下の方がグジョグジョしてきたので、乳腺症が悪化したかと思いS病院の外科へ行きました。患部をみるなり「乳がん末期ですね、この状態で3ヶ月もった人はいません、いままでの経験上・・・」。
いろいろ検査をし、CT画像やエコー検査画像やら血液検査等々・・・何がなんだか、疲れはてました。結果は変わりなく、乳がん末期ステージⅣ余命3ヶ月。「うちでは手におえないし何もできないから、K大学に紹介状を書きますから、すぐに行って下さい」といわれ、もうがん宣告されたので、まな板のこいって感じ。とにかくすぐに行き、また同じ検査、検査、その結果「余命3ヶ月、抗がん剤がきいて、がんが小さくなって切っても長くて3年だね、抗がん剤があわなかったらすぐ死ぬよ、どうする?」ですって。頭にきたので、それを聞きにきたのだと怒ってやりました。
 

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「乳がん末期、余命3ヶ月」と診断されS病院に1年間定期的に通ってみました。その間、ホルモン剤とゾメタの治療のみ、肺と肝臓のがんが消えました。精神力かな~♡
どうしても消えない、右頸部リンパ節がんと、多発性転移で骨のあちこちに!頸部リンパ節にまっかな3㎝×4cmのコブができ、外科では手術でとれないといわれ、コブからは血がふき出てくるようになり、早く何とかしないと思い、先生に他の治療はないのかと聞き、やっと、いやいやだが、放射線の先生を紹介してくれました。
K病院の高精度放射線治療センターのF先生との出会いでした。
F先生のもと、Pet-CT検査をうけ、その結果「コブとれます。骨に転移したものや、原発の乳がん、とりましょう」と言ってくれました。それから2年、12ヶ所におよぶ放射線の治療をして、だいぶなくなりました。
 

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乳がん末期と宣告され、放射線のF医師と出会い、右頸部リンパ節がんと、多発性転移で骨など12ヶ所の放射線治療を2年間受けて、大分よくなりました。がん宣告うけてから仕事はずーと続けてます。治療をしながらです。すごいでしょ!
現在も元気で社会の中で頑張ってます。ふつうの方より仕事もできてます。
F先生にお会いしてから、がんに対する考え方がすっかり変わり、恐怖もありません。ふつうのくらしをしています。少々疲れやすいですが・・・
 

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私の母は、20年前、卵巣がんがもとで旅立ちました。私はその13年後、乳がんなど経験して今に至ります。母のがんを知った時、私だったら良かったのにと何回も何回も思いました。私のがんが確定した時は、(父でも、兄でも、夫でもなく)私で良かったと思いました。鏡で気づき、しこりを見つけたとき『ああ、そうか』と心の中で思っただけです。しこりを乳房生検でとり、結果は簡単に教えてくれました。『やはり、がんでした。』母の時には説明がなく、手術の後『何なの、私は何だったの?がんだったの?』と何回も強く聞かれ、娘の私が『そうなの』と答え、後で担当医に『話しちゃったの?』と言われました。(ナースセンターで私に復水にがん細胞がばらまかれていると話しているのに)外科の手術も受け、担当医が替わり、覚悟する時期に来ているのもわからずオロオロしていて,亡くなる前日、母の様子が昨日と違うと婦長に話したら、『先生を呼び出して、わざわざ聞くことですか?』と言われ、心を残して家に帰ったら、翌日未明に呼び出され数時間で逝ってしまいました。恥ずかしそうに、『あのね、パステルカラーのパジャマを着たいの』と、初めて言われ、急いで求めに行き、洗い乾かして持って行った翌日でした。いまは、希望すれば充分説明が受けられます。『お気の毒としか言いようがありません』なんて終わり近くに言う前に、現実をその場、その場で知らせてほしかったです。ホスピスが身じかになり、在宅医療も進んでいる時代になりましたが、2カ月間、何も食べられなかった母と家で静かに過ごすことができなかったことを今も思い、母に申し訳なかったです。