2回の手術と血液内科への転科

入院2日目、いよいよ手術の日、がんばって~という声とともに、手術室に送り出され、そこで全身麻酔をかけられ、意識は無くなった。

そして、気が付くと病室のベッドに、色々なコードや管をつけたまま寝かされていた。頭蓋骨も半分くらいが無くなっていた。また、寝返りも打てず、腰が痛かった。寝返りをうつためには、看護師に手伝ってもらわないといけなくて、ナースコールが必須。ところが、ナースコールが手許に無くなってしまい。仕方がなく、「看護婦さ~ん」と叫ぶ。しかし、病室は個室で、誰にも聞こえず、つらい腰痛と闘うしかなかった。僕の唯一の助け、女神、の妻との会話が一日の楽しみだった。もちろん、ベッド上では限られたことしかできず、メガネをかけることができなかったため(脳が手術で腫れていた)、まわりのものが見えなかった。そんな中で抗がん剤の投与は着々と進行していた。医師は、病気の真相を伝えたかったようだが、妻がもう少し様子を見てからにして欲しいと言ってくれて、良性だと思って、ベッドに寝ていた。

Unicode

術後の様子

そして、手術から数日後、MRIの画像をもって医師が説明してくれた。非常に抗がん剤の効きが良く、腫瘍が半分、体積比では8分の1になっていて、とても良く効いているとの説明があった(らしい)。が、すでに脳機能に障害が発生しており、その効果を全く理解できなかった。治療はボンプロトコール と言い、1ヶ月×6コースの計半年かかるらしい。これも、時間の感覚を失くしていたので、永遠に病院にいるような気になり、気が狂いそうだった。

手術の説明を妻から聞くと、教授は良性ではなく、悪性リンパ腫を疑っていて、腫瘍の切除も組織検査ができる程度になったらしい。その判断が的確で、すぐに抗がん剤の治療が始められ、脳機能の破壊が抑えられた。眼が見えなくなるとか、脅された手術だったが、とりあえず不自由は無さそうだった。脳外科に入院していたが、病院の方針で、悪性リンパ腫は血液のガンなので、血液内科で治療するというのが、方針らしく、血液内科の2人部屋への引っ越しが予定された。今まで個室で、妻とも携帯でも自由に話せたのに、2人部屋と言うと、何もできなくなってしまうし、パートナーとなる人はどんな人だろうとストレスも発生。

少なくとも脳の病気では無さそうだし、移植とかっていう言葉から、白血病かなぁなんて思ったりした。血液の病気は難しいのかな…なんて隣で考えていて、眠れなかった。

夫は右脳の深いところに腫瘍があったため、時間の感覚がありませんでした。 なので、手術は転院した2日後でしたが、本人の記憶では翌日になっているようです。

手術当日の朝、主治医より説明がありました。倒れた日にA病院で撮ったCTと前日に撮ったCTでは腫瘍が大きくなっている、髄膜腫なら短期間に大きくなることはないし、こんなに頭痛がひどい例は見たことがないので、良性の髄膜腫ではなく悪性リンパ腫の可能性もあること。手術中に検査に出し、髄膜腫だったら取れるだけ取るので手術時間は長くなる、悪性リンパ腫なら治療のためのポートを埋め込み浮腫を抑える処置をして閉じるので、手術時間は短くなるとのことでした。

病院のロビーで待つのはとても辛い時間でしたが、良性なら長時間かかるということで「早く終わらないでほしい」と祈りつつ待っていました。

13:00にオペ室に入室し、終わったのは19:00。6時間が長いのか短いのか、判断がつかないまま、主治医より説明がありました。やはり悪性リンパ腫だったこと、その可能性が高かったので、できるだけ脳にダメージが少ない術式に切り替えて手術してくださったこと、できるだけ早い段階でメソトレキセート大量投与を開始すれば、5年たってもピンピンしている人もいるから悪性といっても希望を持っていいこと、治療は血液内科に転科して行われることを聞きました。

10.初発治療化学療法


開始した化学療法 治療薬

本人は良性だと信じたまま、「先生、ありがとうございました。これから恩返しの人生を生きなきゃ」とはっきり喋っていて、少し安心すると同時に、悪性だと悟られないよう明るくふるまっていました。

このあたりは、本人はしばらく記憶がとんでいるのですが、手術翌日、病院に行くとICUから出て一般病室に移っているものの、話しかけても前日のようなはっきりとした会話もできず、意識が朦朧とした状態。数時間のうちにどんどん意識レベルが下がり、脳外科の医師から、前日の手術で脳が腫れて脳室がつぶれてしまっている。このままでは数時間から1日で脳ヘルニアになり、そうなると二度と元に戻らないから、頭蓋骨を外す手術を考えている、と提案される。メリットデメリットがあり、この手術が江尻さんにとっていいことかどうか迷っていますと言われるが、とりあえず命が助かるならばお願いします、と伝えました。本人は意識のない中で、治療の選択を求められるのは素人の家族なのです。責任重大ですが、そのときは、今死んじゃうよりは少しでも長く生きられる道を、今の頭痛が少しでも楽になるのなら、と思い、二度目の緊急手術を選びました。

メソトレキセート大量投与という化学療法を行う予定の血液内科の医師も病室に来られ、手術後できるだけ早期からメソトレキセートの投与を始めること、大変な治療ですが一緒に頑張りましょう、と言ってくださり、私も泣いている場合じゃない、しっかりしなきゃ、と気持ちを引き締めました。

頭蓋骨を外す緊急手術の翌日、ICUにいるときから、メソトレキセート大量投与(血液内科ではボンプロトコルという)が始まりました。