発症まで 2008年9月

僕は、6年前の9月に脳腫瘍で倒れ、悪性リンパ腫との闘いがはじまった。

 2008年の夏、軽井沢に家族で避暑に行っていたとき、急に物事に対する意欲がなくなり、何をするのにも、時間がかかるようになった。当時、出始めた液晶テレビの設計・開発を担当する技術者であった僕は、超多忙を極めていた。急に周囲のものごとが奥まった感じになってしまい、鬱病かと思って、心配になっていた。ほどなくして、毎日の頭痛がはじまった。頭痛は普通に健康な状態でも発生するものだから、鎮痛剤を飲み続けて対処していた。妻には、バファリンと胃腸薬を外出した帰りに買ってきてもらうという生活が始まった。

 仕事に行っても、うまくいかないことが続き、これはもうダメだぁと思っていたところに産業保健部の方から面談の要請が来た。これで、少しは業務時間に制限がかかり、少しは楽な生活になるかと思い、嬉しかった。

 土日になり、仕事は休みで息子と電車に乗って、文化祭に行ったりしていた。ただ、頭痛とそれに伴う吐気を我慢しての、辛い付き添いだった。(とは言いつつも、息子はその学校に進み、楽しそうに学校生活を送っている。何かの縁があったとしか思えない。)

 次の日は日曜日で、朝から頭痛で動けず、休日急患センターに行く。そこで医師から、どこがどう痛いのですか? と尋ねられるが、激痛でどう痛いという問に答えられず、鎮痛剤を処方されたのみだった。家に戻り早速鎮痛剤を服用するが、効果なし、頭痛に耐えて、寝るまでの時間を過ごした。精神的な頭痛だとすると、こりゃ大変な痛みだなぁと思って次の日の朝を迎えると、また、頭痛がひどい。仕方なく会社を休み、家で様子を見ることにした。行きつけの内科に行くも、どこがどう痛いのですか、と聞かれて、とにかく全部がムチャクチャ痛いのですとしかいえず、漢方薬が処方された。家に戻って、食事をとろうと思ったが、気分が悪く、そのまま食堂の床に横になってしまった。妻が仕事から戻って来て、体調はどう?と尋ねられるが、最悪…としか答えられずに、床に寝てしまった。

 その姿を見て、これは大変と思ったのか、CT検査ができる病院にタクシーで連れていかれた。当直の先生がすぐにCTを撮影して下さり、撮影画像を見せられて説明が始まった。しかし、その画像は説明も不要なくらいの大きな腫瘍(5cm)がはっきり写っていた。

0011_初発画像8

 その写真を見たときに、あ~これなら1カ月くらい会社を休めるな~と少し嬉しかった。

 先生が説明した後、先生が、耳元で指を鳴らして、左耳の聞こえが悪くなっていることと、左目が見えにくくなっていることを指摘し、脳のむくみを指摘され、緊急入院の措置を取られた。そして、直後から、脳のむくみを取るためのグリセリンの点滴が始まった。これの効果は抜群で、点滴を注入している間は頭痛が無い。しかし、連続投与ができないので必ず、何時間に1回かの頭痛と闘う時間が来る。次の日から検査が始まった。とにかく脳腫瘍というのは、色々な種類があり、その判定をしないと治療ができない。MRIや、ガリウムシンチレーションなど、さまざまな検査を毎日実施した。僕の心の中では、この腫瘍は良性なのだろうか、それとも、悪性なのだろうか、ということが逡巡していた。医師が来るたびに、良性なのか、悪性なのか、と尋ねる毎日だった。すでにして、顔の認知能力は無くなっており、代わる代わる登場する医師に同じ質問をしたりして、江尻さん、それは先日お話ししたように、まだわかりません、と怒られたりもした。

 ある日、あまり親切では無さそうな医師が来て、悪性じゃないか、というようなニュアンスの話をして病室を去った。その時の衝撃は強く、妻に泣いて電話をした…。しかし、最終的な結果は告知されないまま、時間が経って行き、その後、良くわからないが、良性の髄膜腫ではないかという結論が出た。これは、手術をして腫瘍を切除する必要があるが、腫瘍の発生位置が脳の奥にあるため、身体に障害が残るだろうという説明があった。左目が見えなくなっても、生命がある方がいいだろう、と医師に言われ、手術を行うことを決意した。手術をするとなれば、医師の技術も重要で、医師選びが始まり、妻と母親の勧めで転院して、別の病院の教授の先生に切ってもらうのが良いだろうということになった。そのことを入院先のドクターに言った所、うちの病院は腫瘍ではなく血管が専門なので、それはその方が良いかもしれないと、好意的に転院を勧めてくれた。

 一ヶ月前くらいからやる気が起きないうつ状態が始まり、メンタルクリニックに連れて行かないといけないな、と思っていました。ちょうど私の仕事が忙しい時期で、落ち着いたら行こうと思っていた矢先、「お父さんが台所の床で倒れて動けなくなっている」、と息子からSOSの電話があり、急いで帰って夜間救急のA病院に連れて行きました。そこで分かったのはまさかの「脳腫瘍」。右脳に5センチの腫瘍があり、左無視、左聴覚↓、左麻痺があるとのこと。これで頭が痛かったんだ、どうしてもっと早く病院に連れて行けなかったんだろう、という申し訳ない気持ちと、明日からいったいどんな生活になるんだろうという不安と、何としてでも元気になってもらわなきゃ、という気持ちと、いろんな想いがグルグル回りながら、病院の暗い廊下で入院手続きを待っていたのを思い出します。

 A院での診断は、良性の髄膜腫。2ヶ月くらいの入院で大丈夫でしょう、手術も急ぐことはないと言われ、ホッとしました。

※次回「B病院へ転院」は、5月30日あたりに更新する予定です。