化学療法3コース目(2008年12月1日~20日)

12/1 次の治療を始めるために再入院した。

入院すると、医師から治療の説明があった。
僕はてっきり前回と同じ医師が担当してくれるものだと思っていたが、何と違う医師が出てきて、「今回の治療は私が担当します」と言われ、前親しくなった先生と離れてしまう不安があった。
治療はメソトレキサートが中心の2コースとは異なり、キロサイド(ARA-C)が中心のコースになった。 毎日病院のベッドに入って寝つけるものの、2時とか3時とかに目が覚めてしまい、実質の睡眠時間は4時間くらいだった。目の見え方が相変わらずおかしく、不安だった、チクチクズキズキとした頭痛は一日中あり、治療がうまくいっていないのではないかと不安になった。点滴と髄注による治療は、引き続き毎日、毎晩行われた。

治療の3日目に突然発熱した。
解熱剤を処方してくれることはなく、氷枕で耐えなさいという看護師の指示だった。新しい抗がん剤へのアレルギー反応だったのかもしれない。 節々が痛く、頭痛も含めて、全身痛。夜、眠れなかった。身体の痛みと発熱は一晩で改善し、次の日からはまたまた退屈な入院生活が始まった。とにかく骨が無いため、ベッドの外に出るときはヘルメットを着用しなければならない。ヘルメットの付け心地は悪くないのだが、どうしても頭痛が発生してしまう。

トイレに行くとき以外はベッドからでることは無かった。毎日、音楽聴取と、ゲーム機。ちょうどヒカルの碁のゲームがあり、友人にそそのかされて、ゲームをずっとやっていた。会社に行かなきゃという不安はあったが、当時の自分は、そこまで考える余裕はなかった。

朝、昼、晩という食事を完食することが一つの目標だった。頭痛に伴う吐き気や食欲不振は続いていた。とにかく頭痛との闘いがこの時の闘病テーマだった。 頭痛が発生してもそれが悪性リンパ腫によるものなのか、それとも通常の頭痛なのかがわからず、不安な毎日だった。医師に尋ねると、「いや~私は脳外科医ではないので、わかりません…」という言葉が返って来て、医師不信感をつのらすだけだった。

俺は頭痛が主訴なのに、わからないって…。
悪性でも良性でも、リンパ腫だろうが何でも良い。とにかく頭痛を無くしてほしい。脳外科医の回診が待ち遠しかった。

3コース目はキロサイドという強い抗がん剤が入るので、骨髄抑制も一番強く、入院期間も長くなるでしょう、との説明でした。

その通り、発熱、胸痛、血小板減少とこれまで出なかった副作用があり、血小板の輸血でアレルギー反応が出たり、とこれまでより大変なコースとなりました。
ステロイドの飲み薬もあるのですが、1回に飲む量が36錠!あまりの量に飲むだけでも大仕事。

 この頃の夫は頭痛があるのに不安なまま放置されていると感じ、「血液内科は血液のデータしか見てくれない!」と怒りをあらわにしていました。
夫の気持ちは分かるけど、先生も看護師さんも一生懸命してくださってるのに、感謝の気持ちが足りないんじゃない?と夫にも腹が立ってしまう私でした。  

3コースが終了して一時退院が見えてきた頃、脳外科の医師の往診があり、「脈動(頭蓋骨のない部分が脈打っていること)もあって元気そうだね」と言ってくださった一言で、
夫はとっても安心し、クリスマスとお正月は家で迎えられそうだ、と元気が出てきたようでした。