報道姿勢が患者さんや支援者の情報発信により…
今後、癌サバイバーに関する報道姿勢が患者さんや支援者の情報発信により変化していくことが、重要です。
医学を学ぶ上で何が大切か…
医学を学ぶ上で何が大切かをいつも意識していたい。これからもがんカフェのような会に積極的に参加して、医師を目指したい。
がんと生きる“わたし”にとって暮らしやすい社会とは何か? 多くの声を集め、つながり合い、語り合い、そして社会へ問いかけます
今後、癌サバイバーに関する報道姿勢が患者さんや支援者の情報発信により変化していくことが、重要です。
医学を学ぶ上で何が大切かをいつも意識していたい。これからもがんカフェのような会に積極的に参加して、医師を目指したい。
患者さんの集まりに参加して話を聞くことが大切だとわかった。参加してよかった。
障がいをもつ子どもは、好きな物ばかりを食べる傾向にあり、栄養のバランスが悪く、がんや病気になる率が高いと思う。そこも注意していかねばならない。
知的障害と自閉症の障害をもつ中二の息子を横紋筋肉腫で亡くした。2~300万人に一人という希少がんで腫瘍が大きくなってから発見された。病院からは、経営面から対応ができないと言われ悲しかった。言葉はしゃべれなくても一日一日を精一杯生きてくれた。亡くなったのは3月9日。「サンキュウ、ありがとう」を伝えたかったのだと思う。障がいをもつ子どものみならず、高齢や認知症で言葉では症状を表現できないがん患者さんに対応してくれる病院が県に一つでもいいからあればいいと思う。
がんになって社会とのしがらみがなくなった。素直になれた。喜びも感じる。キャンサーギフトだと思う。
医者と家族と患者が一緒になって納得のいく治療を探すべきだが、最終決定をするのは本人だ。
痛みが激しく十二指腸に流れていくことのできない胃液が1リットルも溜まる状態。手を入れられてえぐられているような状態だったが、「絶対生きる」と言い聞かせていた。痛みや吐気は薬で対応。生きようとする力は家族や友人に支えられてのこと、とがんになって初めて知った。
5年前に大量出血し子宮体がんを経験した。手術はできないと言われ抗がん剤治療しか受けられず余命宣告も受けた。子宮頸がんには力を入れているが、体がんの検診は自分から申し出ないとやってもらえない。もっと体がんの検診にも力をいれてほしい。子宮がんというと子宮頸がんのことだと思っている人が多い。
手術して4年半。1回目の再発は放射線治療で治った。2回目の再発をしているが、もうこれ以上放射線治療はできないと秋田の病院で言われて、神奈川県で病院を探して放射線治療を受けることができた。主治医も同意してくれた。小さいけれど腫瘍が増えている。ピンポイントであてて高度の放射線治療を受けることができた。神奈川の病院は、「余命3ヶ月と言われたが放射線治療で元気になった」という乳がん患者さんからの紹介だった。
希少がんで情報が少なくて困っている。患者会でつながり、治療や病院について情報交換したり、お互いに励まし合ったりすることで生きるモチベーションが上がると思う。また、患者仲間や遺族や支援者が結集することで、治療法の確立や治療環境の改善などに取り組んでいけると考えられる。
悪性度の高い胸腺腫。がんになって8年目。3回の手術、2回の化学療法、5回の放射線治療(うち、内用放射線治療3回)を受けた。また、ホルモン療法を継続している。セカンドオピニオンは3回受けた。今年も主治医と自分の意見が合って、症例の多い名古屋市立大学に行った。「骨転移している症例は珍しいです」と言われた。経口薬の処方を受け、今は症状が落ち着いている。秋田カフェに参加して、サイバーナイフの治療があることを教えてもらった。次は、サイバーナイフに挑戦したい。